景勝地

宗教上重要な聖地である日光の社寺

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世界遺産に登録された日光の社寺

修験道の高僧である勝道上人が日光山に開山した8世紀末以上、約1200年の歴史の中で発展してきた霊場です。

世界遺産には1999年に登録され、登録対象となっているのは「東照宮」「二荒山神社」「輪王寺」の二社一寺に属する建造物103棟です。

この地は古くから山岳信仰の聖地となっており、神道や仏教、そして江戸幕府を開祖した徳川家康の墓所といった様々な信仰が複合した数多くの建物が現存しています。

神道と仏教が融合した「神仏習合」の思想や、山岳信仰と仏教が結びついて生まれた「修験道」、さらには亡くなった偉人を神としてまつる「人物神」など様々な異なる信仰形態の歴史を物語っています。

世界的に有名な観光地である日光ですが、世界遺産の日光東照宮への交通アクセスは東武日光の東武日光駅、JR東日本日光線の日光駅から観光循環バスで訪れることができます。

駅から徒歩であれば30分ほどの時間がかかりますが、途中で金箔入り日光カステラやゆばまんじゅうといった日光名物のお土産を買うことができる店に寄ることができます。

東京からも定期的に観光バスが往来していますので、日帰りで観光することも可能です。

日光の歴史

古くから山岳信仰の聖地であり、仏教徒の修行の地とされていた日光山は、782年に勝道上人が男体山に登頂し、784年に寺院を建立して開山されました。

その後日光山周辺は神道と仏教思想が融合した「山岳思想」の聖地として、約1200年の歴史の中で発展してきました。

12世紀には堂社の建立が盛んに行われるようになり、霊山として整備が進められました。

鎌倉時代に入ると、関東の鎮護となった源頼朝をはじめとした将軍たちの保護のもとで宗教活動は活発になり、東国の宗教的権威となりました。

室町時代に修_験道がピークを迎えますが戦国時代には各大名の権力争いが起こり、混乱の中で日光山の宗教信仰は衰退をします。

豊臣秀吉によって領地のほとんどを没収され、建造物は荒れ果てました。

日光山が再興されるようになったのは江戸時代です。

初代将軍徳川家康の側近であった天海という僧が、建造物の修繕を行いました。

1616年に徳川家康は亡くなりますが、その遺体は日光に葬られ、翌年に家康の霊廟である東照社が建てられました。東照社はのちに朝廷から宮号が与えられ現在呼ばれてる「東照宮」に改称されました。

家康が日光に葬られたのは遺言によるものでした。

「遺体は久能山(現在の静岡県静岡市)に納め、一周_忌が過ぎたならば日光山に小さな堂を建てて勧請(祭神のみたまを他所へわけること)し、神として祀ること」と家康本人の日記に残されています。

江戸から見て日光は北の位置にあり、北の空にある北極星は季節によって動くことがないため「不動の星」として宇宙を統括する星と考えられていました。

家康はそんな権威のある北極星と自身を同一視したかったのでしょう。

幕府の政情が安定した3代将軍の家光によって、1634年に「寛永の大造営」と呼ばれる大改修が行われ、現在の権現造りの東照宮が完成しました。

権現造りとは横長の拝殿と本殿の間を石でつなぎ、ひとつの建物にする建築様式です。

東照宮は一番奥に一する本殿の床を拝殿より高くする造りが特徴となっています。

江戸時代には日光山の山中の社寺は東照宮も含め一体のものと考えられ、二荒山神社や輪王寺でも再建や造営が行われていました。

ところが明治時代に入り政府は「神仏分離令」を布告し、日光山周辺の社寺は「二社一寺」に分かれることになり、移設をされた建造物もありました。

日光東照宮の建造物

徳川家康の霊廟として知られている東照宮ですが、それを代表する建造物が陽明門です。

建物全体が彫刻や文様で埋め尽くされた豪華絢爛な門となっています。一日中見ても飽きないことから「日暮御門」と呼ばれることもあります。職人の魂が伝わってきますね。

陽明門には一本だけ彫刻の模様が逆になっている柱がありますが、これは「建物を完璧に完成させると崩壊が始まる」という言い伝えにより、わざと未完成の状態にすることにより災いを避けるという意味合いが込められています。

日光東照宮の建物には動物の彫刻が数多くあります。いずれも「平和」を表しています。

神厩舎には猿の彫刻を施した8枚の彫刻があり、猿の一生が描かれていて、転じて人間の平和な人生の過ごし方を表したものになっています。

特に有名なのは「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿でしょう。
三猿は「幼少期には悪いことを見ない、聞かない、言わない」という教育の意味があり、さらに「自分にとって不都合なことは見ない、聞かない、言わない」という教えもあります。

眠り猫も有名な彫刻です。
眠っている姿を見せながら家康を守るためにいつでも飛びかかれる姿勢をしているといわれていますが、もうひとつの教えでは眠り猫の裏面には雀の彫刻があり、雀が舞っていても猫が眠るほどの平和を表しています。
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