仏像

「情けは人の為ならず」後生の本当の意味

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最近ではあまり使われなくなりましたが、「後生だから、お願い!」といった言い回しがありました。
特に強く物事を頼む時に使用されたものです。「一生のお願い!」と同じ類ですね。
そんな後生には、なかなかスケールの大きな由来がありました。

後生の意味は来世

後生(ごしょう)というのは、本来は来世の別名です。来世とは、死んで生まれ変わった後の生のことを言います。
仏教では極楽往生や涅槃に至らない限りは輪廻転生を続けるのが常です。
高僧など、悟りを得た人でない限りは何かしらに生まれ変わるわけですが、来世でどうなるかは、現世での行いに関わってきます。
これは、仏教が起きる前からの古代インドの思想です。因果応報。即ち、原因があるから結果が生まれる。
仏教以前は「今奴隷なのは、前世で悪いことをしたから」とややネガティブでしたが、仏教では「現世で頑張れば、来世良くなるよ」と前向きな考えを示しています。
後生には極楽往生の意味もありますが、いずれにしろ意味合いとしては「死後の安寧」です。

「あなたの為でもあるのです」人に物を頼む意味になった理由

後生が「お願い!」と懇願の意味を込めるようになったのには、こうした因果応報の思想が関係していました。
つまり、「今私に対して善行を積めば、功徳を積んだことになるよ。来世でいいことがあるよ」との意味合いが含まれていたのです。
少し前にこの言葉を使っていた人々でも、元がこんなにも大掛かりな仏教用語であることを知らない方が多かったでしょう。

後生大事の意味

かなり重要な「後生」という言葉は、熟語としても使われます。
その一つが、「後生大事」です。「御大層に、いつまでも取っておくねえ」と若干卑屈な意味合いで使われる傾向にありますが、仏教ではプラスの意味になります。それは、「来世でいい報いを受ける為に、修行に励む」と言うものです。
この修行は何も頭を丸めて仏門に入ることだけではありません。ボランティアでも何でもいいのです。
自分ができることを最大限にやれば、極楽往生とまではいかずとも何かしらの良い目を見られるのは現世でもよく言われること。仏教では輪廻転生という大スケールでそれを語っているだけに過ぎません。

まとめ

形だけのボランティアでもやらないよりはやった方が良いです。「何の役にも立てなかった」「むしろ邪魔だった」。時にはそんな結果になもなるでしょう。
大事なのは、まずはやってみようとの気持ちです。そこに「後でいいことがあるかも」との下心が働かずにスッと困っている人に手を差し伸べられる。
それが理想であり、善い後生を送れる第一歩です。まず何ができるか?そこから考えましょう。

監修:えどのゆうき
日光山輪王寺の三仏堂、三十三間堂などであまたの仏像に圧倒、魅了されました。寺社仏閣は、最も身近な異界です。神仏神秘の世界が私を含め、人を惹きつけるのかもしれません。
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