石庭は枯山水の一ジャンル

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寺院の庭園と言えば自然豊かなものが思い浮かぶ人も多いでしょう。しかし中には龍安寺のように、石と砂で構成された、やや質素な庭園も存在します。この石と砂の実の庭園は、そのまま石庭と呼ばれています。

石庭と枯山水は別のものか、と言えばそうではありません。石庭は枯山水の数あるジャンルの一つなのです。

自然物を庭の形に凝縮したものが枯山水です。元々枯山水とは、山水、つまり山と池のある庭園の水を使わないバージョンです。「枯」の字は水がない、水を使わないとの意味になります。

石の表すものは山であり、砂利や砂紋の表すものは川などの流れです。時折苔も石庭を形成することがあり、独特の味わいを生み出しています。

中でも龍安寺はかのエリザベス女王が大いに感嘆し、世界にその名を知らしめることとなりました。砂の方は10日に1度修行僧により書き換えが行われています。

キュビスムのごとく単純化された宇宙

枯山水は、修行するお堂の内部から見えるよう計算されて作られています。「庭が綺麗だなあ」と修行どころではなくなるのでは、といった懸念はいりません。「ここの葉っぱが綺麗でしょう」「この角度から見るのが通なんだよね」「紅葉すると一層綺麗だねえ」と見て回り、写真を撮るのは観光客のすることです。枯山水とは「見て学ぶ」ために生まれました。ここで言う「学び」はもちろん禅の心、仏の教えを指します。禅の修行は、日常生活を送ることでも実践が可能なものです。

座禅こそ組みますが、禅問答においては「食事をすること、眠ることも修行の一環」といった意味のやりとりが成されています。「まず日常生活をきちんとしよう、そうすれば心もきちんとして、あるべき悟りを得られる」という考えです。「なおさら、庭なんか見ている場合ではないのでは?」と思われるでしょうが、枯山水を見るのも立派な修行になります。

枯山水の示すものは山に見立てられた岩や水に見立てられた砂などです。世界が一つの空間にギュッと詰まった状態と言えます。

植物があれば、それが季節ごとに変化をするでしょう。変化とは仏教における諸行、万物は流転するとの考えに沿ったものです。

先に述べた龍安寺の「10日に一度の書き換え」もそうです。今まであった紋様が消されて、新しい紋様が生まれ変わる。これは輪廻転生を想起させるところがありますね。

石庭でも、苔むすことがりますし、砂紋を書き換えることもあります。こうした自然界の変化は、言ってみれば分かりやすく単純化された宇宙と言えるでしょう。

一旦形をばらして単純化させて再構築する芸術、キュビスムと通ずるものがあります。

枯山水の種類

枯山水と一言にいっても種類が存在します。先に述べた石庭もその一つです。

まずは、枯山水そのものの種類から。

【平庭式】
起伏に富んでおらず、ほぼ平地と言っていい状態の枯山水をこう呼びます。見た目には至極シンプルであり、世界観に入り込みやすいです。龍安寺の石庭はこの平庭式に当たります。

【準平庭式】
基本的には平らですが、石ではなく砂や土などで盛り上がった山を作る場合はこれに当たります。山と言っても比較的低いものです。寺院で言えば大徳寺本坊、普賢寺などがこれに相当します。

【枯池式】
枯山水は水を使いません。しかし、池泉庭園なるものが存在します。これは川などから水を引き入れて作った庭園のことです。枯池式枯山水とは、水を一切使うことなく池泉庭園に似せて作られたものを指します。
そんなことができるのか、といえばできるのです。実際青岸寺などで、こうした庭園を見ることができます。
砂を川や池に見立て、石や苔などをふんだんに使うなどすれば、枯山水のはずなのになぜだか潤いや水音まで感じられる不思議な技法です。

【枯流れ式】
砂に紋様を書くことで、水流を再現した枯山水を指します。枯池との違いは、池に当たるものを作らないことです。
西芳寺や天龍寺などで見られます。

【築山式】
またの名を前期枯山水。枯山水の初期的な技法であり、寺院によっては池泉庭園とコラボしていることもあります。
傾斜など、地形を活かしての造りが躍動的な半面、不思議な静寂もあるのが特徴です。
西芳寺や天龍寺、観正寺などの庭園がこれに当たります。

砂の種類も実は一つではありません。厳密には白川砂と呼ばれる同じ砂を使用するのですが、砂粒のサイズによって中豆、豆、アコラス、ビリと分かれているのです。

砂紋の種類も千差万別でした。

【井桁紋】
井戸の「井」の字のように、縦横憎んだ紋様です。

【渦巻紋】
石の周辺でよく見られる、同心円状の文様を示します。イメージとしては波紋のようなものです。

【曲線紋】
川の流れや海のうねりを示す砂紋。水のイメージとしては分かりやすく、良く使われます。

向月台だけが魅力じゃない・銀閣寺の枯山水

庭園が魅力の寺院は数多いですが、足利義政公の開基した銀閣寺こと慈照寺の庭も、人気の高いスポットです。

こちらの寺院は臨済宗に属します。金閣寺こと鹿苑寺の舎利殿に似せて観音堂が作られたため、銀閣寺の異名がつきました。銀箔が張られていない理由に関しては諸説ありますが、この寺院は詫び錆びのある庭園が人気を呼んでいるので、観音堂になにも張られていなくとも、景観や寺院の価値が損なわれることはありません。

むしろ詫び錆びが強調されて、渋みのある光景が広がっています。そんな銀閣寺にも枯山水が存在。中でも有名なのが向月台です。よくプリンのようだと称される独特の形状で知られます。

一説には富士山を表しているとされており、意外と大きく180㎝ほどあります。毎日手入れがされており、常にピシッとと整ったボディラインを維持。名所は気合いが違います。

「向月台」と言う名前には、「この上に登って月を眺める」と言った意味が込められていました。もちろん、実際には上ってはいけません。枯山水は元々一種の連想と関係があるので、飽くまで「この上で月が見られる」という設定に過ぎないのです。それでも、観光客の人気を呼んでいることには変わりません。

向月台の近くにも魅力的な枯山水がありました。銀沙灘(ぎんしゃだん)です。一段高い所に白砂を盛り、名前通り銀色の地面と錯覚を覚えます。銀沙灘の「灘」とは、急流のことです。大胆なラインは確かに急流を思わせますね。

銀沙灘は月の光を反射させる為に作られたと言われます。飽くまで一説に過ぎませんが、銀いろめいたカラーリングが何とはなしに月を連想させるため、あながち間違いではないという気もしてくるでしょう。

ちなみに向月台、銀沙灘共々、足利義満港の時代ではなく、江戸時代辺りに作られたと言われています。結構最近に生まれた傑作でした。

参拝の為の道にも白い砂が敷き詰められています。これも立派な枯山水です。砂の文様が息をのむほど美しく、ひし形の敷石も地味なのにどこか輝かしく見えます。
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