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お地蔵さん、ご利益により異名が違う? 意外と知らない基礎知識

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日本の昔話や墓地、お寺などで見かけるお地蔵さん。仏像としては一番身近かもしれません。多くの観音像のように、顔や腕が複数あるわけでもなく、姿かたちもまた身近。錫杖を持つのは鎌倉時代以降の作品だそうです。何か癒されますね、この笑顔。何故こうも身近なのかと言えば、ある重要な使命を追っているからです。お釈迦様の入滅後、後継者たる弥勒菩薩が悟りを開きこの世に降り立つまでの間六道の衆生を救うこと。

知ってるようで知らない基礎知識

地獄に堕ちても人間界においても教えを説き救済する目的のため、まるで僧侶のような姿をとるのです。

といってもこれは鎌倉時代以降のこと。元はインドのバラモン教のご出身。星宿の神とされていましたが、仏教に取り入れられて後、地獄でに堕ちても助けてくれると信仰されるようになったとのことです。日本で地蔵菩薩の信仰が広まったのは平安時代。末法思想という「人類滅亡」のような説を信じ、「極楽往生できない者は皆地獄行き」と信じ込んだ一般の衆生にとってはまさに救いの仏だったわけですね。地獄に堕ちた亡者を救う絵は掛け軸等で残されています。

亡者を救済するお地蔵さん。鬼が見てますが、さすがにお地蔵さん相手に文句は言えないんでしょうね。こんな状況で助けられたら仏教徒になるのも、熱心に話に耳を傾けるのも頷ける?

賽の河原(親より先に死んだ子が行く場所)や、人間界を含めた六道の入り口にて救済を行うとされており、広く大衆に親しまれ信仰されています。その名残りか、道祖神(土地の守り神、或いは旅行者の安全を守る神様)のような役割や、子供の守護者としての側面も持っています。「地蔵」の名の意味は元のサンスクリット語名クシティ・ガルバ(大地と胎内)から。大地の名を持つ段階で、何だかぐっとご利益が期待できそうですね。

ご利益別お地蔵さんの異名

救済とはいえ、様々な願いがあり、それによってお地蔵さんの名前も変わって来るようです。
病気関係:身代わり地蔵、せき止め地蔵など。
子宝関係:子安地蔵など。
災難からの守護:縛られ地蔵、火焼け地蔵、汗かき地蔵など。
海運、延命:とげぬき地蔵、延命地蔵、勝軍地蔵、田植地蔵など。

「閻魔様」と同一人物という話

「閻魔大王と同一人物」という話がありますが、これもどうやら平安時代の末法思想、地獄に堕ちることへの恐怖から生まれた思想のようです。別の説として、閻魔様が地蔵菩薩に変化し、つぶさに人間界の様子を見て裁きを決めるというはなしもあります。

「昔話」に登場するお地蔵さん

かように親しまれているお地蔵さんのこと。昔話にも登場します。雪吹雪く夜、売れなかった笠と手拭いを頭に着けてもらったからとお礼に大量の食糧や宝を置いていった『かさこ地蔵』は有名ですね。『まんが日本昔話』や民話などで、伯父損さんのお話は残されています。

「昔話」に登場するお地蔵さん・『のんべえ地蔵』

酒屋に買い物に来た謎の僧侶。しかし持っているのはザル。
「これになみなみお酒をちょうだい」。
「こぼれるだろう」との店主の言葉にも、ニコニコしながら「いいのいいの」。
仕方なく注ぐと、不思議と酒がこぼれることはありませんでした。僧侶は次に、豆腐屋にも現れます。酒用の徳利を持って。やはり豆腐は徳利に収まってしまい、それが数日続いたところで両店の主人もさすがに気味悪く思い、後をつけるとそこには僧侶と似た顔のお地蔵さんが。見れば、口元に豆腐。「お地蔵様もお酒が飲みたかったんだな。豆腐は肴代わりか」と納得するのでした。ほのぼのとしたお話でした。お地蔵さんがお酒飲んでいいのか、とかはともかく。

「昔話」に登場するお地蔵さん・『切られ地蔵』

タイトルからして何事!?と思う所ですし、のっけからホラーテイスト。
何せ真っ暗な森の中、後ろから足音が聞こえるんですから。決まった森で、夜一人で歩いていると必ず足音がする。ある猛者の村人がナタを携えて森を歩くと、やはり足音。「ええい!」と勇気を奮って切り付け、そのまま逃げだしました。
しかし、村のばあさまが言うには足音の正体は「お地蔵様」。ばあさまがまだ幼かった頃、奉公先の使いで夜の森を歩かなくてはならない用事ができました。怖くて心細かったものの、お地蔵さまが一緒に歩いてくれたから勇気づけられた、と回想シーンが流れます。村のお地蔵さまには、確かに切り付けられた痕がありましたとさ。

「昔話」に登場するお地蔵さん・『汗かき地蔵さま』

こちらは少し教訓めいた話。汗のように水を吹き出すお地蔵さんがある、と有名になります。
殿様が「水が湧き出るんなら元でいらないじゃん」と手洗い桶にする為、職人を呼んで「首を切り落として、体の部分を改造しろ」と命じました。さすがに職人も仏罰を恐れて「できない」と尻込みしますが、結局は注文通りに製作。殿様はその出来に満足、諸大名に見せようと船に乗りますが大嵐に。船も体の部分も沈んでしまいました。残された頭部はなおも水を吹き出し、皆からより大事にされたとのことです。

おごり高ぶった人間が罰せられるお話ですね。タイトルは失念しましたが、もう一つ。某県の民話です。水不足に悩む二つの村。唯一の水源を巡り、警備係を置いたりと一触即発。そこに、水源で水をくむ小坊主が。「水は皆のものだ、独り占めするのか」と両村の住民が責め立てます。うち一名の持っていた鎌が小坊主の首元にザクリ。「殺してしまった」と青ざめますが、その正体はお地蔵さん。村の争いを止めるために小坊主の振りをして憎まれ役を買って出た、というわけです。

その後雨が降り水不足も解消された気がしますが、「あー痛かった」と呟いたり、お地蔵さんも大変です。皆の前で起き上がり、本来の姿を現して悠然と祠に帰るさまが若干シュールでしたが。

変わり種のお地蔵さんたち・縛られ地蔵

縄でぐるぐる巻きにされているお地蔵さんもいます。

「どうしてこうなった」かと言えば、かの「大岡裁き」とも関係がありました。その昔、越後谷のある店に弥五郎というに担ぎ屋が出入りしており、その日も大事な反物(白い木綿)を運んでいる最中でした。で、とるお寺の木陰で一寝入り。起きる途端物はなくなっていました。「盗まれた!」と一旦は自殺を考えるも、奉行所に訴え出ます。数日粘った挙げ句、忙しい大岡様が話しを聞いてくれました。「お地蔵さんの近くだから安心だと思った、か。でも結局守ってくれなかったわけだな?」とお地蔵さんを罪人として縛り上げ、しょっぴきます。これには皆「どーなってんの・・・」と興味津々。「お地蔵さまがしょっ引かれる」と評判になり、お白洲の様子を除くやじ馬まで。真面目にお地蔵さんに「白い木綿が盗まれた責任」を問いただす大岡越前は、やじ馬たちに「ここを何と心得る!」とことの発端である「白い木綿一反」を、持って来るように要求します。怒鳴られた時点で「しょっぴかれる!」と思い込んだ皆は白い木綿一反を持って来ました。その中に盗まれた反物も混じっていた、というお話。紛失した者を探す願掛けから始まって、今ではあらゆる願掛けの為縄を縛り、叶ったらほどくという風習ができたようです。このお話もまた『まんが日本昔話』でアニメ化されました。

変わり種のお地蔵さんたち・延命地蔵

元牢屋敷に作られたお寺。そこに、延命地蔵様はおわします。江戸時代の受刑者、刑死した者たちを弔うためのお地蔵様のようです。大安楽寺というお寺におわします。

大安楽寺より。地獄に堕ちた亡者も救うお地蔵様のこと。堂々たる佇まいが頼もしいです。悪党でも救ってあげて下さい、という気になります。

変わり種のお地蔵さんたち・勝軍(しょうぐん)地蔵

救済の仏、お地蔵さん。しかし中には武装姿のものもあります。鎌倉時代より後、武士に広く信仰されました。ご利益は勿論「戦いに勝つ」こと。「煩悩に勝つ」との意味もあるようです。色々と応用がききそうですね。これでもお地蔵様なんです。手広すぎですね。

変わり種のお地蔵さんたち・ランドセル地蔵

急に近代化した感がありますが、哀しい由来のあるお地蔵さんです。時は太平洋戦争真っただ中。劇中ではランドセルの肩ひもをつかんで振り回すようなやんちゃ坊主。そんな少年が主人公でした。皆と疎開しますが、そこで機銃掃射に遭い9歳で死亡。やんちゃでもわんぱくでも、何の罪もない子が殺されて。でも似た面影のお地蔵さんがあったのはある種救いだったのかもしれません。形見となったランドセルは、母親がちぎれた肩ひもを縫い直します。疎開先の寺にあった地蔵堂に息子の面影を持つお地蔵さんの肩にかけるため。現在ではランドセルを背負った形で作られており、『ランドセルをしょったじぞうさん』(古世古和子:著)というタイトルで児童書化もされています。

まとめ

色々な場面で、色々な活躍をしているお地蔵さん。「様」よりも「さん」付けで呼ばれるほど慕われていますが、インド時代より大地に根差し活躍されてきたわけですね。地味というより身近で親しみがあって、それでいて頼もしいお地蔵さん。中には悲しい、恐ろしい枠を持つお地蔵さんもあります。しかし日本全国を見渡せば、まだまだ変わった、ユーモラスだけどご利益のあるお地蔵さんが見つかるかもしれません。親しみを持ち信仰できるというのが、なんだかすごい事のように思えてきました。

お姿にさえ意味がある。侮りがたし、お地蔵さん

「シャバの空気は最高だぜ!」なんてセリフもありますが、この「シャバ(娑婆)」は仏教用語で、意味としては現世、というか苦しみに満ちた世界を表します。そんな娑婆で最も身近な仏像といったらお地蔵さんこと地蔵菩薩。その魅力と秘密を探っていきましょう。

インド時代と仏教入り

サンスクリット名はクシティ・ガルバ。意味としては大地と胎内。
大地のパワーを内包した仏、ということです。インドでは恵みを与える大地神だったという説があります。
仏教入りして後、お釈迦様の入滅後、その代わりを務める仏がいない状態になりました。他の如来にも勤めはあるものの、その内容はお釈迦様のようなリーダー的なものとは違っていました。
新たなリーダー、弥勒如来が現れるのは、50億年先。その間は私が衆生を守り、救いましょうと名乗りを上げたのがクシティ・ガルバ改め地蔵菩薩です。

代受苦

お地蔵さんは10の誓いを立てました。その一つが、代受苦。その意味は身代わり。
単なる身代わりじゃありません。地獄で責め苦を受ける亡者の代わりを引き受けるのです。針山地獄、釜茹で地獄と数多ある地獄で、声すら上げられないほどに苦しむ亡者を救い、時に身代わりになって下さるんですね。何だか泣けてきます。

何故に僧侶姿?

菩薩といったら大概想像するのが、装飾品を着けた派手派手衣装。
腕の多い多臂像を思い浮かべがちですが、お地蔵さんの基本像容は、時に錫杖を持ったお坊さん風。他の菩薩群と比べると地味ではありますが、逆に親しみやすいのが特徴。
こう言った姿になったのは、先の代受苦も含め、メジャーデビューした時期と関係がありました。日本でのお地蔵さんのメジャーデビュー、それは仏教界の人類終わる終わる詐欺こと、末法思想のはびこる平安時代。民間にも仏教がはやり、「代わりに苦しみを受け止めて上げる」という誓いを立てたお地蔵さん。
末法思想というのは、お釈迦様の入滅から56億年間は救世主が現れず、どんどん仏教も衰退するよ、悪人ばっかりが増えて、世界終わりだよ、というもの。
「南無阿弥陀仏で極楽に行けるよ」という超分かりやすい浄土宗を解く僧侶の姿になったのは自然なこと。ちなみに何故お地蔵さんなのかといえば、お釈迦様の光景に当たる弥勒仏の登場まで、仏の教えを廃れさせず、また衆生を守り救う役割を負っているためです。

少年漫画にも登場するお地蔵さん

代受苦の伝承が元になっているのかは分かりませんが、身代わり地蔵の話は少年漫画『地獄先生ぬ~べ~』(著:真倉翔、岡野剛)にも存在。
劇中では腹痛やあらゆる痛み、口惜しさと言った感情までを代わりに引き取ってくれる路傍のお地蔵さんとして登場。
メインキャラクターの一人が「辛い事ばかりじゃかわいそう」と美味しいお菓子を食べた後でその幸福感も分け与えていました。
仏国土に住まう仏たちが仏像に宿り戦う『仏ゾーン』(著:武井宏之)にも登場しています。名前は「ジゾウ君」。この時はクール&ヒートを絵に描いたようなキャラクター。菩薩ではありますが、戦闘に関しては決して容赦せず。ガンガン敵を倒しますが、世界を守る為のやむを得ない戦闘。

閻魔様との関係

地獄で死者を裁く、とされる閻魔大王とお地蔵さまが同一人物という説はたまに聞きます。
何故こういうことになったのか?
まず閻魔様が何者か、という所からご説明します。閻魔「大王」とありますが、実は冥府には死者の量刑を決める十王なる面々が存在。あの世の審判役は閻魔様だけじゃないんです。
ついでにいえば、最初の王、秦広王の段階で量刑が決まれば閻魔様の出番なし。
死後三十五日経ってもまだ決まらない者が、閻魔様の前に引き据えられるわけです。ちなみに、最長の場合は三回忌まで引っ張ります。なるべく地獄に落とさないように、との配慮なのか、あの世でも審判は長引く物なんですね。
ちなみに嘘つきの舌を抜くのは、鬼の仕事です。

閻魔様だけがずば抜けて有名なのは、お地蔵さまと同一人物という説話の為でしょうか。
では、何故に同一人物?それはひとえに、閻魔様の本地仏がお地蔵さんだから。日本には神仏習合という考えがあり、「あの神様とこの仏様は、実は同じ人なんだよ」という考えようによってはトンデモな説が横行。十王にもそれぞれ本地仏が存在。閻魔様の本地仏は、代受苦を引き受けてくれるお地蔵さんというわけです。
特に慕われているから有名なのかもしれませんね。

道端にいる理由

結構大きな誓いを立てているお地蔵さん。
その石像が道端にあるのは、単に慕われているか、だけではないようです。

お地蔵様は地獄だけでなく六道輪廻すべての衆生を救うとされており、それに関する説話も残っていました。それは『今昔物語』。昔々、六体のお地蔵様をそれは熱心に拝む男性がいました。
この人が、早退した年でもないのに一度なくなってしまいます。
「あーあ、死んじゃったなっと。ところでここどこだろう」見渡せば、そこは何だかだだっ広い場所。「えーと、どっちに行ったらいいんだろう」とまごまごしていると、どこからともなく小坊主が六人現れて、帰り道を教えてくれました。ちょっと変わった臨死体験と言ったところですが、小坊主の数は全部で六人。生前拝んでいたお地蔵さんも六体。
「じゃ、あれはお地蔵様だったんだ」。このお話が物語るのは、六地蔵が六道や、そこを巡る死者たちの守護者というこのとのようです。
ちなみに六道というのは、人間界を含む六つの世界。地獄や修羅道、餓鬼道、畜生道、天界なども含みます。悟りを得ない限りは生前の行いにより、この六つの世界をグールグル回って抜け出せない状況が続くというわけです。

一説では、お地蔵さんの役目はそんな衆生に説法を解き、極楽往生できるよう取り計らうことだとか。
道端にいるのは、六道の道にいて、衆生救済をするお地蔵様を模しているのです。また一説には、お地蔵さんのいるところは、あの世とこの世など、あらゆる場所との境目、とされます。

バリエーションも豊富

大衆人気を得たお地蔵さんは、いつしか様々な苦しみから救ってくださるだけでなく、願いも叶えて下さるとして種類が増えました。病気を治すとげぬき地蔵、願掛けの為に牡丹餅をお供えする牡丹餅地蔵、ひたすら飴を塗りたくる飴舐め地蔵などなど。よくもまあこんなに思いつく物です。願を掛けて縄で縛り付ける縛り地蔵も存在。こちらは昔話が元になっています。

まとめ

東京、京都それぞれに六地蔵巡りがあり、何だか祀るというより、目線を合わせて手を合わせたくなるような身近なお地蔵さん。代わりに地獄の苦しみを引き受けて下さるほどの覚悟を少しもこちらに感じさせないその姿勢に、今までとは違った真摯な気持ちで手を合わせたくなりますね。
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