<歴史に学ぶ移民問題>アメリカ移民とノウ・ナッシング
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2016年は新しいアメリカ大統領を決める重要な年でした。ヒラリー・クリントンとドナルド・トランプという二人の候補者は、良い意味でも悪い意味でも(おもに悪い意味ですが)、連日大変な注目を集めました。
今回の大統領選に関する社説(op-ed)を見ていると、トランプ氏に関連して“Know Nothing”という言葉を時たま見かけました。たとえば、2015年9月の時点で早くも “Donald Trump and the "Know-Nothing" movement”と題されたラジオ特集が放送されており 、The New York Timesでも、2016年5月に“The Know-Nothing Tide”という題名の社説が掲載されました。
この“Know Nothing”という言葉が、アメリカ史の用語であることをご存知でしょうか。高校の世界史の用語集に載っていないほどの言葉ですので、「ちっとも知らないよ(Know Nothing)」という方も多いのではないかと思います。
しかしこの “Know Nothing” 、今回のトランプ氏の大統領選に限らず、これから政治の様々な文脈で目にすることが増えるかもしれません。というのも、“Know Nothing”は、いま世界中で問題となっている「移民」に関するキーワードだからです。
「歴史は繰り返す」とは、それこそ繰り返し言われてきた言葉ですが、やはり歴史は繰り返すもの。いまだからこそ知っておくべき、“Know Nothing” について紹介します。
今回の大統領選に関する社説(op-ed)を見ていると、トランプ氏に関連して“Know Nothing”という言葉を時たま見かけました。たとえば、2015年9月の時点で早くも “Donald Trump and the "Know-Nothing" movement”と題されたラジオ特集が放送されており 、The New York Timesでも、2016年5月に“The Know-Nothing Tide”という題名の社説が掲載されました。
この“Know Nothing”という言葉が、アメリカ史の用語であることをご存知でしょうか。高校の世界史の用語集に載っていないほどの言葉ですので、「ちっとも知らないよ(Know Nothing)」という方も多いのではないかと思います。
しかしこの “Know Nothing” 、今回のトランプ氏の大統領選に限らず、これから政治の様々な文脈で目にすることが増えるかもしれません。というのも、“Know Nothing”は、いま世界中で問題となっている「移民」に関するキーワードだからです。
「歴史は繰り返す」とは、それこそ繰り返し言われてきた言葉ですが、やはり歴史は繰り返すもの。いまだからこそ知っておくべき、“Know Nothing” について紹介します。
1. “Know Nothing”とは
はじめにごくごく簡単に“Know Nothing”という言葉を説明しておきましょう。
“Know Nothing”とは、簡単に言えば1840~1850年代に使われた、 “The Native American Party”(1845年設立。1855年に“The American Party”に改称)というアメリカの政党の呼称です。この党は、移民の排斥を中心とするnativism(排外主義)の性格の色濃い運動のことを指すこともあります。
続いて、この“Know Nothing”という言葉がどのように生まれたのかを理解するため、1840年代ごろのアメリカの移民状況を振り返ります。
“Know Nothing”とは、簡単に言えば1840~1850年代に使われた、 “The Native American Party”(1845年設立。1855年に“The American Party”に改称)というアメリカの政党の呼称です。この党は、移民の排斥を中心とするnativism(排外主義)の性格の色濃い運動のことを指すこともあります。
続いて、この“Know Nothing”という言葉がどのように生まれたのかを理解するため、1840年代ごろのアメリカの移民状況を振り返ります。
2. “Know Nothing”の背景
“Know Nothing”として知られた “The American Party” の台頭には背景がありました。まずは1840年代から1850年代のアメリカの移民状況を簡単に振り返ります。
アメリカと移民は、1620年にピルグリム・ファーザーズがプリマスに上陸して以来、切っても切り離せない関係にありましたが、1830年代以降、アメリカへ押し寄せる移民の数は急激に増加しました。さらに1840年代後半には、アイルランドで「ジャガイモ飢饉(Potato Famine)」がおこり、数多くのアイルランド人がアメリカへ向かいました。そのほか、アメリカへの移民増の原因となった事件として、1848年のカルフォルニアでの金鉱発見に端を発するゴールド・ラッシュを思い出す方もいることでしょう。
この時期の移民の出身地を見てみると、イギリス、カナダからの移民に加えて、ドイツ、アイルランドから大多数の移民がアメリカに渡っていることが注目されます。アイルランド移民が多い理由は、先述した「ジャガイモ飢饉」です。一方のドイツ移民の増加は1848年の革命(「三月革命」)が原因で、彼らドイツ系移民は “Forty-Eighters”(強いて訳せば「48年組」といったところでしょうか。)と呼ばれることもあります。
これらアイルランドとドイツの移民の急増は、アメリカ社会に軋轢をもたらしました。とくに問題となったのが宗教でした。アイルランドとドイツの移民の多くがカトリック教徒であったため、アメリカのプロテスタント教徒との宗教的な対立が先鋭化したのです。プロテスタントたちのなかには「カトリックは、教皇ピウス9世に忠誠を尽くしており、アメリカの自由や民主主義といった理念を潰そうとしている」といった陰謀論的な恐怖を抱く者もいたといいます。
こうした、アイルランド系およびドイツ系移民への反感が “Know Nothing”の背景となりました。
アメリカと移民は、1620年にピルグリム・ファーザーズがプリマスに上陸して以来、切っても切り離せない関係にありましたが、1830年代以降、アメリカへ押し寄せる移民の数は急激に増加しました。さらに1840年代後半には、アイルランドで「ジャガイモ飢饉(Potato Famine)」がおこり、数多くのアイルランド人がアメリカへ向かいました。そのほか、アメリカへの移民増の原因となった事件として、1848年のカルフォルニアでの金鉱発見に端を発するゴールド・ラッシュを思い出す方もいることでしょう。
この時期の移民の出身地を見てみると、イギリス、カナダからの移民に加えて、ドイツ、アイルランドから大多数の移民がアメリカに渡っていることが注目されます。アイルランド移民が多い理由は、先述した「ジャガイモ飢饉」です。一方のドイツ移民の増加は1848年の革命(「三月革命」)が原因で、彼らドイツ系移民は “Forty-Eighters”(強いて訳せば「48年組」といったところでしょうか。)と呼ばれることもあります。
これらアイルランドとドイツの移民の急増は、アメリカ社会に軋轢をもたらしました。とくに問題となったのが宗教でした。アイルランドとドイツの移民の多くがカトリック教徒であったため、アメリカのプロテスタント教徒との宗教的な対立が先鋭化したのです。プロテスタントたちのなかには「カトリックは、教皇ピウス9世に忠誠を尽くしており、アメリカの自由や民主主義といった理念を潰そうとしている」といった陰謀論的な恐怖を抱く者もいたといいます。
こうした、アイルランド系およびドイツ系移民への反感が “Know Nothing”の背景となりました。
3. “Know Nothing”の広がり
移民の急増のなかで、移民や帰化に反対する秘密組織が現れました。代表的な秘密組織としては “Order of United Americans” や “Order of the Star-Spangled Banner”が挙げられます。これらの秘密組織のメンバーは、活動内容を聞かれた場合には「何も知りません」(I know nothing)と答えたことから、しだいに、移民に反対するメンバーたちは “Know Nothings”とよばれるようになりました。
やがて反移民感情の高まりを象徴するかのように、1854年の選挙では議席を獲得し、“Know Nothings”の波は、the American Partyとして政治の世界にまで及びました。1852年と1854年には、党は大統領選にも参戦しました。このころ、“Know Nothings”による選挙妨害や反カトリック的暴力行為も激化しています。
ところで、“Know Nothing” は移民への反対という文脈以外にも当時の社会を反映しています。この記事の最初に示した肖像には実は「理想的なKnow Nothings」が描かれています。この肖像で理想とされているのは、「男性、プロテスタント」です。“Know Nothing”の運動は、移民問題に隠れて、黒人や女性、カトリック教徒、ネイティヴ・アメリカンなどに対する差別ともつながっていることに注意が必要でしょう。
やがて反移民感情の高まりを象徴するかのように、1854年の選挙では議席を獲得し、“Know Nothings”の波は、the American Partyとして政治の世界にまで及びました。1852年と1854年には、党は大統領選にも参戦しました。このころ、“Know Nothings”による選挙妨害や反カトリック的暴力行為も激化しています。
ところで、“Know Nothing” は移民への反対という文脈以外にも当時の社会を反映しています。この記事の最初に示した肖像には実は「理想的なKnow Nothings」が描かれています。この肖像で理想とされているのは、「男性、プロテスタント」です。“Know Nothing”の運動は、移民問題に隠れて、黒人や女性、カトリック教徒、ネイティヴ・アメリカンなどに対する差別ともつながっていることに注意が必要でしょう。
4. “Know Nothing”の衰退と現代
1854年の選挙で成功をおさめたthe American Partyでしたが、その衰亡はすぐさまやってきました。衰退の直接の原因となったのが、奴隷問題に関する党内分裂でした。それまで奴隷問題に関しては態度をはっきりとさせていなかったthe American Partyですが、1856年の大統領選挙への候補者選定を巡って奴隷制度に賛成する派閥と反対する派閥が対抗し、反対派の多くが脱党したため、the American Partyは急速な衰退を迎えます。こうして、1860年までに“Know Nothing”の運動は収束しました。
反移民、反カトリックの歴史において、“Know Nothing”という運動は最初でも最後でもありませんでした。“Know Nothing”の収束後も、1890年の American Protective Associationの活動、1920年代のクー・クラックス・クランなど、“Know Nothing”同様の運動は周期的に現れているのです。また、一方で、20世紀後半になると “Know Nothing”という言葉が「排他主義者」を批判する際のレッテルとしても使われるようになりました。導入部で紹介したトランプ氏の記事でも、そのようなネガティブな使い方が多くなされています。こうしたレッテルは、歴史を反省するという良い面もありますが、しかしレッテル貼りに終始してしまい本質を見落とすという危険もあります。現代において “Know Nothing” 運動をどう解釈するか、このことは移民問題に揺れる現代においてとても重要な問題であると言えるでしょう。
反移民、反カトリックの歴史において、“Know Nothing”という運動は最初でも最後でもありませんでした。“Know Nothing”の収束後も、1890年の American Protective Associationの活動、1920年代のクー・クラックス・クランなど、“Know Nothing”同様の運動は周期的に現れているのです。また、一方で、20世紀後半になると “Know Nothing”という言葉が「排他主義者」を批判する際のレッテルとしても使われるようになりました。導入部で紹介したトランプ氏の記事でも、そのようなネガティブな使い方が多くなされています。こうしたレッテルは、歴史を反省するという良い面もありますが、しかしレッテル貼りに終始してしまい本質を見落とすという危険もあります。現代において “Know Nothing” 運動をどう解釈するか、このことは移民問題に揺れる現代においてとても重要な問題であると言えるでしょう。