ケネディとは「栄光の50年代」というアメリカ・マスメディア理想の投影だった
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ケネディ大統領が今もなおアメリカ国民から愛されるワケ
テクノロジーの進歩により、ひとつの情報が数秒で世界中を飛び回る現代社会において、一人の圧倒的な「カリスマ」を作ることは前世紀よりも確実に難しくなっています。
ネットニュースやSNSの隆盛により、有名人やセレブは常に監視カメラを背後に背負って生きているようなご時世において、20世紀のカリスマのような伝説や神秘を身にまとった形で人々の尊敬を集めるよりは、より庶民的に普通の暮らしを送っているのに圧倒的に有能であることを示すことが必要な現代の指導者たちが楽ではないことは、世界各地で頻発する国のリーダーたちのスキャンダルでも明らかなことです。
そんな現代社会に苦悩する私たちは、過去のカリスマ性を帯びたリーダーたちを追憶してしまうのです。
王のいないはずのアメリカ合衆国において、「王朝」と呼ばれるほどの、国民総意で別格の扱いを受けている家系があります。
「ケネディ家」です。
ジョン・フィッツジェラルド・ケネディが政界に颯爽と姿を登場した時、人々は驚きました。
開拓民の子孫たちが形成する堅苦しいしきたりの多い上流階級と、西ヨーロッパ系移民で構成された中流階級との間に存在する、目には見えない分厚い壁を、シームレスに行き来できる、アメリカ合衆国新世代の象徴たる大統領こそが、ケネディでした。
大人が眉をしかめるような退廃的トレンドを熟知しつつ、太平洋戦争の英雄の一人であり、ベストセラー作家という肩書きをも併せ持つ、富豪一家の息子という華やかなプロフィールに、アメリカ国民は夢中になりました。
多くの日本人からも未だに憧れの大統領として人気を集めるケネディ大統領が誕生した前後のアメリカは、どのようなものだったのでしょう?
ネットニュースやSNSの隆盛により、有名人やセレブは常に監視カメラを背後に背負って生きているようなご時世において、20世紀のカリスマのような伝説や神秘を身にまとった形で人々の尊敬を集めるよりは、より庶民的に普通の暮らしを送っているのに圧倒的に有能であることを示すことが必要な現代の指導者たちが楽ではないことは、世界各地で頻発する国のリーダーたちのスキャンダルでも明らかなことです。
そんな現代社会に苦悩する私たちは、過去のカリスマ性を帯びたリーダーたちを追憶してしまうのです。
王のいないはずのアメリカ合衆国において、「王朝」と呼ばれるほどの、国民総意で別格の扱いを受けている家系があります。
「ケネディ家」です。
ジョン・フィッツジェラルド・ケネディが政界に颯爽と姿を登場した時、人々は驚きました。
開拓民の子孫たちが形成する堅苦しいしきたりの多い上流階級と、西ヨーロッパ系移民で構成された中流階級との間に存在する、目には見えない分厚い壁を、シームレスに行き来できる、アメリカ合衆国新世代の象徴たる大統領こそが、ケネディでした。
大人が眉をしかめるような退廃的トレンドを熟知しつつ、太平洋戦争の英雄の一人であり、ベストセラー作家という肩書きをも併せ持つ、富豪一家の息子という華やかなプロフィールに、アメリカ国民は夢中になりました。
多くの日本人からも未だに憧れの大統領として人気を集めるケネディ大統領が誕生した前後のアメリカは、どのようなものだったのでしょう?
ケネディ大統領誕生前夜、アメリカの様子は?
アングロサクソン系で動かされていたアメリカの支配層に、富の力で食い込んだのが、アイルランド系移民のケネディ家です。ケネディが生まれたのは1917年。第一次世界大戦にてアメリカが世界の宗主国にふさわしいポテンシャルを秘めていると世界が認めた戦争に沸く時代に生を受けました。
富と最高の学歴(アングロサクソン系の名家の子弟のための大学であったハーバード大卒)を手に入れ、上流階級に仲間入りしようとした父親(ジョゼフ・ケネディ)の存在が、ジョン・F・ケネディの政治家人生をプロデュースすることになりました。
第一次世界大戦の時代、アメリカの国民総生産は永遠のライバル国・イギリスなどヨーロッパを代表する稼ぎ頭と比較し、約3倍もあったそうです。
その段違いな経済力から、今に続く「豊かなアメリカ」というイメージがワールドワイドに確立された時代でもありました。
ハリウッド映画に世界中が魅了され、アメリカ文化が世界中の若者の流行のお手本となり、やがてアメリカ合衆国という国そのものが憧れとなったことで、完全無欠の上昇気流に沸くアメリカ合衆国の空気感の中で、ケネディは幼少時代を過ごします。
そして1930年代に世界大恐慌が起き、欧米帝国主義が民族主義の興隆を前に立ち行かなくなるなか、その強固で盤石な国力を元に、世界の秩序を守る正義の戦士たらんとする1940年代の第二次世界大戦を経て、世界の民主主義の盟主として1950年代を迎えました。
テレビを使ってアメリカ国民と対話する大統領の登場です。
富と最高の学歴(アングロサクソン系の名家の子弟のための大学であったハーバード大卒)を手に入れ、上流階級に仲間入りしようとした父親(ジョゼフ・ケネディ)の存在が、ジョン・F・ケネディの政治家人生をプロデュースすることになりました。
第一次世界大戦の時代、アメリカの国民総生産は永遠のライバル国・イギリスなどヨーロッパを代表する稼ぎ頭と比較し、約3倍もあったそうです。
その段違いな経済力から、今に続く「豊かなアメリカ」というイメージがワールドワイドに確立された時代でもありました。
ハリウッド映画に世界中が魅了され、アメリカ文化が世界中の若者の流行のお手本となり、やがてアメリカ合衆国という国そのものが憧れとなったことで、完全無欠の上昇気流に沸くアメリカ合衆国の空気感の中で、ケネディは幼少時代を過ごします。
そして1930年代に世界大恐慌が起き、欧米帝国主義が民族主義の興隆を前に立ち行かなくなるなか、その強固で盤石な国力を元に、世界の秩序を守る正義の戦士たらんとする1940年代の第二次世界大戦を経て、世界の民主主義の盟主として1950年代を迎えました。
テレビを使ってアメリカ国民と対話する大統領の登場です。
メディアがつい使いたくなるエピソード盛りだくさんなケネディ
ジョン・F・ケネディは、実は虚弱体質かつ出来過ぎの兄と比較するとそれほど輝きのない放蕩息子な弟に過ぎませんでした。しかし、太平洋戦争中に兄が戦死してしまったことで、「支配階級のトップになりたい」という父親の野心が全て弟のジョンに注がれることになったのです。
ハーバード大に提出した彼の卒業論文が、父親のプロデュースによって一流の資料と編集のプロの手でブラッシュアップされ、出版されたそれがベストセラーを駆け上がりました。
このベストセラーは後々までジョン・F・ケネディの大看板となります。
そのかたわら、父親のプロデュースは太平洋戦争中に息子が乗り込んだ「PTボート(アメリカ海軍の持つ魚雷搭載の偵察艇)」のエピソードを美談に創作しました。
「あまたの兵士を救命して日本の駆逐艦に体当たりした英雄」として、一躍メディアの寵児になった背景には、政財界に顔の広い父親の影響もさることながら、ケネディのブレーンとして馬車馬の如く働いた有能なスピーチライターたちが次々に政論を発表し、「快活な若さと、深い知性を持つ稀代の政治家」として、次期大統領にふさわしい第一人者であると、アメリカ国民に広く受け入れられるようになったのです。
ハーバード大に提出した彼の卒業論文が、父親のプロデュースによって一流の資料と編集のプロの手でブラッシュアップされ、出版されたそれがベストセラーを駆け上がりました。
このベストセラーは後々までジョン・F・ケネディの大看板となります。
そのかたわら、父親のプロデュースは太平洋戦争中に息子が乗り込んだ「PTボート(アメリカ海軍の持つ魚雷搭載の偵察艇)」のエピソードを美談に創作しました。
「あまたの兵士を救命して日本の駆逐艦に体当たりした英雄」として、一躍メディアの寵児になった背景には、政財界に顔の広い父親の影響もさることながら、ケネディのブレーンとして馬車馬の如く働いた有能なスピーチライターたちが次々に政論を発表し、「快活な若さと、深い知性を持つ稀代の政治家」として、次期大統領にふさわしい第一人者であると、アメリカ国民に広く受け入れられるようになったのです。
テレビを通して直接国民に語りかける大統領候補
約5000万台のテレビがアメリカの一般的家庭に普及した1950年代、「ニュース」はリビングの重要な娯楽であり、そのニュースを通して、それまで選ばれた人たちだけで運営されていた政治の世界がオープンなものへと変化しました。
ケネディはそれまでの政界の慣習であった裏工作よりも、マスメディアを使ったテレビ討論で民衆の熱い支持を取り付けることに成功したのです。
ケネディはそれまでの政界の慣習であった裏工作よりも、マスメディアを使ったテレビ討論で民衆の熱い支持を取り付けることに成功したのです。
アメリカ国民の成功の象徴・ケネディ大統領
若くて熱意あるアメリカ的ハンサムなケネディがテレビに映し出された瞬間、まるでもう一人の自分がそこに立っているかのような親近感を50年代のアメリカ国民は覚えました。 そして、自分たちでは太刀打ちできないと思われていた上流階級の政治家と真っ向からやりあう姿に、民衆は酔いしれ、彼を大統領にまで押し上げたのです マスメディアの効力を最大限まで引き出し、使いこなしてみせたケネディ陣営のサクセスストーリーは、21世紀においても政権奪取のセオリーとして受け継がれています。