仏像

八百万の国 日本人の信仰

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国によっては、ビザの申請や入国カードにReligion(宗教)を書く欄があります。そこにnon(無宗教)と書いてしまうと、最悪は入国拒否、そうでなくてもトラブルになるというケースが現代でもまだあるようです。
海外では一般に無宗教というのは、共産主義者と見なされていますので、テロリストじゃないかと疑惑の目を向けられてしまうわけです。それじゃあということで日本神道と書くと、今度は延々と「それはなんだ?」という質問攻めにあいます。どちらにしてもいいことはありません。
それでほとんどの人は「仏教」と記入するわけです。これならすんなり通れて入国での問題は発生しません。

入国される側の国としては、その人の身になにかあったとき、遺体をどう扱えばいいのかがわからないと困るのです。その程度の理由で作られた質問項目なので、入国担当の人を安心させてあげればいいということです。信条ではなくプロパティを聞いているだけなのですから。

1.わかりづらい日本の宗教感

海外のサイトで日本のことについてのコメントを読むと、「日本人は無宗教だろ?」という言葉が頻繁にでてきます。日本人のほうも特に否定することもなく、それを受けて入れる人が多いようです。
いつのころからか、日本は仏教国ではなく神道でもなく、無宗教の国と認識されてしまいました。恐らくは日本に来た外国人が、日本の現実を見た実感なのでしょう。 それは無理からぬことのようです。日本の宗教行事の実態を少し列挙してみましょう。

家の中には神棚と仏壇を隣に置き、12月末にはキリストのミサ(クリスマス)を祝ってラブホテルを満員にし、古代ケルト人の収穫祭(ハロウィン)はコスプレイベントの別名となり、お盆という先祖を供養する仏教行事では、親戚・近所の人まで集まって盆踊りで大騒ぎします。
正月には、豊穣を司る歳神(としがみ)様をお迎えする神道行事として福袋を買いあさったかと思えば、子供が無事育ったお祝いに道教のお札を納めにいき、ついでに千歳飴を買ったりします。
結婚式は教会で、合格祈願の願掛けは神社で、葬式は寺で、観光では仏像を拝観します。しかし仏陀の誕生日(4月18日)はなんの興味も示しません。

こうやって書き並べると、我が国のことながらいったいなにをしたいのかさっぱりわかりません。
そんないい加減な国があっていいのかと言われそうですが、ここにあるから仕方ないのです。それが我が日本です。
これでは外国から無宗教をとわれても仕方ないかもしれません。しかし本当に無宗教というのは、正しい認識なのでしょうか。

2.神道は言挙(ことあ)げせず

言挙げとは聞き慣れない言葉ですが、「言葉にしてはっきり自己主張する」というような意味の言葉です。それをしない、というのですからどんな教義も生まれるはずはありません。教義がないからあいまいになり、あっちにもこっちにも神がいるという、統一性のあるようなないような不思議な宗教ができあがったのです。数が多すぎて八百万(やおよろず)の神なんて言葉までできました。
八百万とはよく考えると不思議な言葉です。八は数が多いという意味でよく使われます。江戸の町は八百八町、愛想のいい娘は八方美人、万年筆ははっぱふみふみ? それに百を足して八百(やお)になると、数が極めて多いという意味になります。八百屋さんが有名ですね。
最後の万(よろず)という字も似たような意味を持っています。万屋といえば有名なアニメの主人公の職業ですね。現代ならまほろ駅前の便利軒のようなものでしょうか。よろず相談所というのもあります。
文章で自己主張はしませんが、たくさんという意味の文字をこれでもかと使って日本の信仰を表現しているわけです。こうしておけば、いくらでも後から増やすことができますよね。平将門や菅原道真などの祟り神は後から加えた典型です。

3.言挙げする仏教が入ってきた

6世紀半ば。そんな日本に中国経由で仏教が入ってきました。仏教には明確な教義があり芸術があり文学がありました。それを国のトップが積極的に取り入れたのです。 さあ、一般的な日本人は困り……はしませんでした。たいして考えることもなく取り込んじゃったんです。仏陀も神々のひとりでいいじゃないか(違いますが)。お上はなにやら難しいこと言ってるけど、わしらは拝んでりゃいいだろ、てな感じです。
多神教ならではの懐の深さです。八百万もいる神がひとりやふたり、いや1000人増えたところでどうってことはない。仏像も一緒に拝めば良い。縁日(お祭り)が増えてラッキーじゃん?
一神教ではこうはいきません。どちらかを選ばねばならないわけですから、どちらも自分の権益や命を守るためには負けるわけにいきません。延々と議論が続きやがては小競り合いから戦争になり、勝ったほうが総どりをする。そういう歴史を繰り返してきたのがユーラシア大陸の人々です。
そのおかげで、科学技術ばかりは驚くほど進歩しましたけどね。世の中を物騒にもしましたね。

4.神仏習合という妥協案

6世紀の日本は仏教を広めようと膨大な予算を組み、必死で寺院を建て仏像を作り人民教化に努めます。おかげで現在の私たちは、膨大な量の文化財に恵まれているのですから、大変ありがたいことです。しかし人民の教化(八百万はやめて仏教に帰依しろ)という意味では、あまり成功をしたとは言えません。そのうちに、仏教側のほうから神仏習合を言い出す僧侶が現れてしまいます。
神仏習合を簡単に言えば、仏教も土着信仰も日本神道も全部混ぜちゃえってやつです。ただし仏教が一番上で、その下に日本の神々がいるのだよという考え方です。日本の神々も疲れちゃったので、もう仏教に帰依しちゃうわ、ってことで仏の最下位ランク(天部)に入れられました。
もともと仏教は、インドにあるときから土着神を取り込みまくっていたので、日本でも同じことが行われただけでした。ただし、それにも限度というものがあります。かまどやちょっと形の珍しい大木、台風で落ちてきた岩、長く使った針、まさかそこまで天部にするわけにはいかなかったのでしょう。無視されました。多勢に無勢で戦うより放っておくという選択肢を選びました。
仏教の仏は現代でも1000ちょっとなので、八百万にはとうてい勝てません。日本の神々は人(神)海戦術で自分の陣地だけは守ったというところでしょう。

神仏習合を唱えた人は、天台宗の開祖・伝教大師最澄です。最澄が最初のひとりではないかもしれません(諸説あり)が、その思想にはかなりの部分に神仏習合の要素が見られます。
神仏習合によって、ますます日本の宗教は混乱を極めるのですが、日本人にはさほど困った風は見られません。たいした違和感もなくそのまま受け入れてしまいました。あがめる神が少し増えただけです。仏が上でも下でも俺たちにゃたいして違いはない。とりあえず拝んでおけば、なんかいいこと(御利益が)あるみたいだぞ。とりあえず祀っておけ。そんなところでしょう。仏壇と神棚の違いなど、あってないようなものです。

5.そうは言っても一揆はするぞ

鎌倉時代には新しい仏教が生まれ人民の人気を集めます。ただ南無阿弥陀仏を唱えれば良いという浄土宗・浄土真宗・時宗。ただ南無法蓮華経を唱えれば良いという日蓮宗、ただ座っていれば良い臨済宗・曹洞宗です(結跏趺坐で座るのはかなりつらいですけど)。
これらがすべて最澄の天台宗から派生したという点は、大いに興味がわくところですがそれはさておきます。
日本中で小競り合いの起きた戦国期になると、一番迷惑を被ったのは民百姓たちです。せっかく耕した田んぼが戦闘でダメになったり、自分の家を焼かれたり追い払われたりしました。
やがてその不満を利用する宗教家が現れます。本願寺顕如のように戦国大名にまでなった人もいます。民百姓からしてみれば自分たちの土地も守ってくれないくせに、年貢だけ徴収されるのはアホらしい。それならいっそ、死後には極楽浄土とやらへ連れて行ってくれるらしい教団に寄付しちゃったほうがマシだと考えます。さらに混乱が続き貧困が進むと、もう早く死んで極楽にいこうと言うやつまで現れます。それが一向一揆になりました。やけくそと言ってもいいぐらいの信仰ですが、それだけに強敵でした。これには信長も家康もさんざん苦労させられました。
しかし世の戦乱が収まるとともに、一揆も収まってゆきます。そのころやっと日本を統一しようかという武将が現れたのも大きかったのですが、戦国武将たちも学習したのです。力尽くで押さえつけるのは効率が良くないということを。民百姓の信仰の力を、為政者側が認めた歴史的快挙と言えるかもしれません。

6.廃仏毀釈運動

そうやって国家権力と戦かったり懐柔されたりしながら、折り合いをつけてきた仏教と日本神道ですが、とうとう袂を分かつときがきます。それが明治になってから起こった廃仏毀釈運動です。
しかし明治政府がそれをやったというのはちょっと違います。政府の指示は「神仏分離令」であり、神道と仏教を分けろという意味でした。
しかしそれが上から下に伝わる段階においてねじ曲げられ拡大解釈され、神社にある仏像を片っ端から破壊してしまえ運動に変質しました。背後には、水戸学や復古神道を信奉する神道家や国学者の暗躍があったとされています。これで神仏習合の蜜月時代は終わりを告げました。
廃仏毀釈運動は最初のころこそ大きな運動でしたが、その反対運動でもある大浜騒動が起こったりするうちに、徐々に姿を消してゆきます。そもそも廃仏毀釈運動は、江戸幕府の施策により腐敗が進んだ寺院の強欲に対する不満の表れであり、暴れているうちに気が済んじゃったというのが本当のところです。
廃仏毀釈運動は厳密に言えば、明治30年岡倉天心によって文化財保護法が成立するまで一応続きました。壊された仏像も保護法によって修復するための予算がつきました。時間もお金もかかる現状維持修理法によって、元の姿に戻すというコンセプトで順次厳密に修理されました。その修復技術は現代も面々と受け継がれています。

7.日本神道は宗教ではなく文化、なのか?

そんな血みどろ男爵のような歴史も交えて紡いできた日本の信仰ですが、別のややこしい問題が起きました。日本神道は宗教なのか、ただの行事文化なのかという問題です。
宗教学では、宗教には3つのものが必要とされています。「教祖」「教典」「戒律」です。日本神道はあくまで祭祀が中心であり、宗教として必要なこの3大要素が、さわやかなほどひとつもありません。しかし日本の神社の大多数は宗教法人として登録されています。これは困りますよね。論理的につじつまを合わせることを職業とする学者さんたちは。
でも日本人は困りません。またかよ、って声が聞こえてきそうですが、宗教行事のすべてをイベント化してしまった日本人にとって、深刻な問題にはなり得ないのです。 多神教ならではのおおらかさと言えなくもありませんが、それだけではありません。二者択一を嫌う文化、争いが嫌いな文化、あやふやな状態が気にならない文化、だけど物質には細部にまでとことんこだわる文化、それらを全部ひっくるめて日本人の信仰なのです。

8.最後に

世界では約6割の人が一神教です。仏教は1割ほど。無宗教も15%ぐらいはいると推定されています。日本人はどこに入るのでしょう。八百万教でしょうか。どこに入ってもかまわない、それがおおかたの日本人気質です。
神棚も仏壇も同じように拝み、クリスマスには馬鹿騒ぎをして、盆踊りや夏祭り、収穫祭、正月をそれぞれ楽しめるならそれでいいのです。そういうカジュアルな神仏の付き合い方こそ、日本人の信仰の本質でしょう。

近頃では寺社の境内で、顔つきがまるっとマリア様の立像を見る機会が増えてきました。もともとはキリシタン禁制の時代に造られていたマリア観音ですが、最近なぜか流行っているようです。
キリストの聖母さえ、日本人は観音菩薩にしてしまっています。見る人が見たらこれは冒涜だと言われそうですが、そういう神や仏との付き合いを日本人はずっとしてきました。それはもしかすると、とても健全な神との付き合い方なのかもしれません。

宗教の分野でも、日本はガラパゴスなのです。

監修:えどのゆうき
日光山輪王寺の三仏堂、三十三間堂などであまたの仏像に圧倒、魅了されました。寺社仏閣は、最も身近な異界です。神仏神秘の世界が私を含め、人を惹きつけるのかもしれません。
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