仏像

【後編】真言宗と他宗派の違い

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浄土宗

「南無阿弥陀仏」とお経を唱えるだけで極楽往生可能、と主張する宗派です。
ただ唱えるだけでなく、本尊にして極楽浄土の主、阿弥陀様を心に思い浮かべるのが肝要。「南無阿弥陀仏」と唱えるだけでさ取れるのは強引じゃないか、と思われるでしょうが、他ならぬ阿弥陀様ご自身、「すべての救いを求める衆生を極楽浄土に生まれさせるまで悟らないよ」と仰っているにも拘らず如来となられています。
「救いを求めた者が皆極楽往生したからだ」ということで、念仏を唱える以外の機微修行、小難しい説法はいらないとされているようです。開祖は法然。幼少期に両親を惨殺された過去を持ちながら、「恨んではいけない」という父の遺言により出家した高僧です。

浄土真宗

その浄土宗を更に別体系にまでしたのが浄土真宗。
念仏を唱えるまでもなく、阿弥陀様を心から信じた時点で極楽往生可能、「他力本願」という言葉を有名にした宗派です。開祖は親鸞。ちなみにこの宗派、妻帯も肉食も許されています。と言って怠け者の生臭坊主の宗派ではありません。「悟りの機会を得たことを感謝しなさい、感謝の心を持って念じなさい」と教えてもいます。

時宗

浄土宗から派生したもの。一遍上人が開祖です。
「阿弥陀様を信じてなくてもいいの。『南無阿弥陀仏』さえ唱えれば極楽行けるよ。でも数をこなした方がいいよ」と、気楽なんだか努力重視なんだかよく分かりません。踊りながら念仏を唱えて布教に励み、「南無阿弥陀仏」と書かれた札を配ったりもしました。やっぱり努力重視。でも楽しそうにも見えます。

日蓮宗

「法華経を唱えれば、社会は良くなる!ビバ法華経!だってお釈迦様が最初に説いたんだよ!?法華経にはスンゴイ力があるんだよ!?」という考え。
これだけだと怪しい宗教に見られそうですが、五綱教判という協議がちゃんと存在。
内容は教(法華経こそ衆生救済)、機(末法思想が広まった世だから、法華経が不可欠)、時(末法だよ!?今広めなきゃ!)、国(今この国に一番必要な教えなの!)、序(最終的に広がるのは法華経だよね)。
国を想って、最澄の教えの根幹にある法華経に特化した教えを説いたわけです。色々な宗派の中から衆生を救うのに最適なものを法華経としたのが日蓮。ただこの宗派は宣伝が少々派手すぎたこともあってお寺を焼かれたり辻斬りに遭ったりの苦難に合います。
しかしそれさえも「経典に書いてあったモン」と不況の力に変えるのはかなりの物です。日蓮は一度捕らえられて斬首されそうになりますが、「何か」が起きて、それを免れています。一説には刀に雷が落ちたとされますが・・・?

まとめ

バリエーションが豊富ですが、根が同じなだけあって、突き詰めると皆行きつくところは一緒、ということになりそうですね。それでも微妙な違いがそれぞれの信念や生きざまを示しているようです。どの宗派を信ずるか、或いはどこの宗派も信じないか。全てはあなたが決めることです。

監修:えどのゆうき
日光山輪王寺の三仏堂、三十三間堂などであまたの仏像に圧倒、魅了されました。寺社仏閣は、最も身近な異界です。神仏神秘の世界が私を含め、人を惹きつけるのかもしれません。
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