仏像

仏教界のカリスマモデル、観音菩薩の変化姿と逸話

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仏教の世界は意外と個性派揃いです。如来、菩薩、明王、天部と言う階層と、各階層の定義が存在。それに当てはまれば後はご利益、役目によって個性を発揮、というのが常識。
仏教界で人気の高い観音菩薩の定義は、化仏と呼ばれる頭部の小さな仏像と煌びやかな衣装、そして三十三の変化数です。またの名を変化観音と言います。

観音菩薩とは

サンスクリット名はアヴァロキテシュヴァラ。舌を噛みそうというか、覚えるのにまず難儀しそうな名前ですが、意訳としては「自在に見下ろす者」といった所。
ここでいう「自在」は勿論「自由自在」のことですが、仏教では如来や菩薩が持つ、何でも思うようにできる一種の超能力を示します。『西遊記』でも知られる玄奘三蔵法師は「観自在天」「観世音」などと漢訳したとされますが、「あれ間違いだからね」とも言っていたようです。
それでも観世音の名は信仰と共に広まり、後に観世音菩薩と称されるようになります。インド時代すでに広く信仰されていましたが、そこには現世利益。つまり、救いの声を聴き、すぐに救済するという性格がありました。何だかんだ言っても人間、目先の利益優先なんですね。しかし、人々の願望は十人十色。性格だって十人十色。
色んなニーズに応えるうちに、「三十三の姿に変化する」という性格に落ち着きました。大量の資格を持った即戦力の人材のようです。
現在の観音信仰の基礎となったものは『法華経』とされます。各観音独自の経典があり、それに合わせて像も作られた、という見方もあるようです。

阿弥陀様の脇侍

『無量寿経』によれば、極楽浄土に住まう阿弥陀如来の眷属の一人で、勢至菩薩と並び、阿弥陀如来の智慧を司る勢至菩薩に対し、慈悲を司ると言われています。

『観音経』が説く三十三応現身

『観音経』に曰く、観音菩薩の変化は相手に合わせて行われるとあります。
相手が僧侶なら僧侶。役人なら役人。ともかく「お助け下さい、観音様」と唱えれば、その人に合わせた姿で現れて説法をし、納得のいく形で救済へと持っていくわけです。
「この人間には、この姿、こういうシチュエーションで救うとするか」と綿密に計画を練って、ドロンと変化。「やあ」と現れて救ってくださるわけです。
これを三十三応現身と言い、『観音経』で変化した数が三十三あったことから「三十三の姿に変化する」と言われるようになったとされます。何で三十三かと言えば、「結果三十三個だった」というわけではなく、『リグ・ヴェーダ』というインドの神話に記される重要な神々の数が三十三だからです。

基本です。聖観音

大概観音菩薩と言えば多面多臂を想像しますが、現在基本の姿とされているのが、聖観音です。
六世紀から七世紀にかけて流行した変化観音を変身後の姿とし、「基本はこれね」と定めた物。特徴らしい特徴はないように思えますが、左手に蓮華の花を持っています。
仏教で蓮華は汚れなき清浄なる花。しかし、まだつぼみの状態(未開敷蓮華という名)です。何故開いていないかというと、固く閉ざされた衆生の心をも、いつか開かせる観音の力を表している為。少しずつ芽生えていくであろう仏の心を、つぼみの蓮華として表したわけですね。
常に持っているわけではありませんが、左手に花を持ち、頭部に化仏がいたら聖観音と見て間違いないでしょう。観音の基本形なので、阿弥陀三尊像で脇侍を務めることも多いです。聖観音以外は変化観音と称されます。

救世観音にまつわるお話

日本に仏教を広め、学校や病院などの基礎を作ったとされる偉人、聖徳太子。
現存する中では日本最古とされる木造寺院、法隆寺を作らせたのも彼ですが、法隆寺に国宝、通称救世観音にはこんなお話があります。夢殿という場所にあるこちら、実は聖徳太子と等身大で、化身ともいえる物。長らく白い布を掛けられた秘仏状態でした。「開けるな!見るな!」というのが秘仏なわけですが、明治十七年、遂に御開帳されることになりました。かの岡倉天心と、フェノロサが「どうしても見たい」と言ってきたのです。「秘仏だから駄目!」と強くNOと言えない日本人気質のせいか、アメリカからわざわざ来たフェノロサの為仕方なく布をとりのけることとなります。開けたと同時に僧侶たちは猛ダッシュ!芸術性、神々しさに感激していたフェノロサたちを放置して寺院の外にまで逃げたというお話です。何で逃げたか、と言えば、そもそも秘仏扱いということは、「人の目に触れさせるなんてとんでもない」という考えから来るもの。「聖徳太子様のお怒りに触れる!」「天変地異が起きる!」との恐れから逃げ出したんですね。現在では昔ほど秘仏として厳重保管されていないので、特別開扉期間中なら拝観も可能です。ちなみにこの名前は『法華経』にある「観音様の智の力が、衆生を苦しみから救う」と言った意味合いの言葉から来ています。

生活密着型?夢違観音

一般的にはさほどメジャーじゃないかもしれませんが、夢違観音という、悪い夢をいい夢に変えてくれる観音様もいます。縁起のいい夢、悪い夢のことです。夢違観音に祈れば、悪い意味の夢を見たって大丈夫、というわけですね。

性別

男になったり女になったり、変幻自在な観音に性別も何もないように思われますが、元がインドの女神パールヴァティーであるとする説もありますし、何だか女性的、とも言われます。
しかしサンスクリット名のアヴァロキテシュヴァラは男性を示す言葉。お釈迦様も「観音はいい男だよ」と仰っています。しかも髭もアリ。これに関し、日本に来るまでの間インドや中国の女神信仰を取り入れたのではないか、と見られています。どんな姿にでもなれるわけですし、性別がどちらでもいい、というわけですね。

補陀落という土地

仏様の土地、通称浄土という物を、観音菩薩も持っています。
その名も補陀落山(ふだらくせん)。『華厳経』に曰く、観音菩薩はここに住んでいるそうです。この経典の中に、善財童子という求道者が53人の指導者に出会い話を聞くという修行の中で観音様に出会い、慈悲について説法を聞くことができたとのお話があります。この補陀落山は現在インドの南端にあるマラヤという山にあった観音の霊場ではないか、とされているようです。
補陀落の名を持つ土地は、この他にも増えていきました。有名な所ではチベットのポータラ(サンスクリット語で、力の意味)宮殿や中国の普陀山などです。日本にも補陀落山寺があります。

まだ時期じゃない

唐の時代。日本からの留学僧がこの地で行を修め、五台山で得た観音像を持って帰国、使用としたのですが、何故か普陀山の辺りで船が止まってしまいます。「観音様、ここから離れたくないんだな」ということで「まだ日本へ行く機会でないなら、持ち帰らずに致しますので、どうぞ船をお出しください」と祈るや、船は何事もなかったようにスーッと動いたそうです。「いや、まだ早いから。勝手に持ってかないでくれる?」と船まで止めるとは、観音様のお力、恐るべしです。この時建てられた寺院は、不肯去観音院といいます。

まとめ

結構色々なお話がありましたね。別の記事では変化観音の有名どころをご紹介します。

異形型変化観音編

基本の聖観音に続きまして、有名どころにして異形型の変化観音像について語ります。

異形が多い理由

観音様には、人間ではなく異形の姿で現れることだってありますね。
というか、観音菩薩のメジャーなイメージは「腕が沢山、顔も沢山」の多面多臂像ではないでしょうか。では何故そうなったのか?「観音様は助けて下さる」という現世利益の性格にありました。ヒンドゥー教の神々と通ずるものがあったんですね。そこで、いつからか観音信仰とヒンドゥー教の神々のイメージが一つとなり、多面多臂像の観音が増えたわけです。

日本に初めて渡った変化観音、十一面観音

日本発の変化観音は十一面観音菩薩です。顔が沢山あるものの、基本的には腕が二本なので比較的見分けはしやすいですね。
左手に清らかな水の入った水瓶もしくは未開敷蓮華を持っていることが多いです。一説には頭に盛られた十の顔は十一面観音の功徳、化仏が四つの果報を表しているとのこと。功徳とは病気をしない、お金や衣食に困らない、どんな敵をも打ち倒す、慈悲の心が芽生える、虫や武器などによって傷を負うことがない、火事や水害に遭うことも、野垂れ死にすることもない、という物です。360度ぐるり見渡しているだけあって、隙ナシ、鉄壁の防御のような功徳ですね。

四つの果報とは死に至る際諸々の仏を見ることができ、地獄に落ちることもなく、鳥や獣に食べられることもなく、極楽往生できるという物です。サンスクリット名はエーカーダシャムクハ。「十一の面」といった意味なので、そのまま十一面観音と訳されました。基本的には二臂ですが、たまに四臂の物も存在。これは『十一面観自在菩薩真言念誦儀軌経』という経典に沿ってのこと。お数珠、水瓶、未開敷蓮華が目印です。また、二臂でも持物として錫杖を持つ長谷観音という例外もまたあります。

縄で救います。不空羂索観音

この名前は「あらゆる願いを空しくさせないために叶え、全ての衆生を救う」という意味です。
金版で言えば、十一面観音に次ぐ変化観音で、『不空羂索経』『不空羂索神変真言経』という経典を持ちます。後者が、この観音に関するスタンダードな人物名鑑のようなもの。『不空羂索心王母陀羅尼真言』という真言を唱えれば、現世において二十の益を、臨終においてははちの益を得ることができるそうです。
おまけに、戦乱になっても、陀羅尼を唱えれば、あら不思議と争いが収まる、とまで言われる鎮護国家の性格も持っています。額に第三の目を持ち、八本の腕を持つのが普通。名前の通り、衆生を救う羂索を持ちます。他にも持物はありますが、像によって異なり、剣を持つ物まであるんです。

多臂像について

多臂像の観音も数多くいますが、有名どころでは千手観音、馬頭観音、如意輪観音、准胝観音、不空羂索観音といったところ。「多臂像は皆千手観音じゃないの!?」違います。千手観音は掌に目を持ちます。
像では大概持物がある為見えなかったりしますが、腕だけでなく顔も頭部にてんこ盛り。おまけに細かい腕がわらわらと生えているので、比較的メジャーな上、分かりやすい観音像と言えそうです。

慈悲の化身、千手観音

千手千貫観世音菩薩という正式名称があり、サンスクリット名はやたら長いです。サハスバビフジヤ・アリア・アヴァロキテスバラ。
何か美味しそうな響きですが、何でそんなに腕や目を持ってるんだと言われれば、どこまでも衆生を色く見渡し、見つけ、助ける為です。それも、慈悲の心を持って。千手観音はいわば慈悲の化身なんですね。罪滅ぼしや延命などのご利益があります。頭が二十七個あるバージョンも存在しています。バリバリ有能な人材にしか見えません。

実際には腕は四十二本ですが、一本で二十五の世界(もしくは衆生)を救うとされているので「千手観音」の名に恥じません。奈良県の唐招提寺、大阪府の葛井寺では、実際に千本の腕を持った千手観音が見られるそうです。しかし見応えでいうなら京都府の三十三間堂がおすすめです。黄金に輝く1000体の千手観音がズラリと並ぶ様、中央の大きな中尊も見応えがありますし、迫力や異空間にいるような感覚はナンバーワン。

怒れる馬頭観音

菩薩像において唯一の忿怒相(怒った顔)なので分かりやすいですね。
「優しく言ってるのに分からない?じゃあ、こうだ!」という怒り役と言った所。同じような忿怒相で多臂像の多い明王と間違えかねないって?実際馬頭観音には忿怒時明王という別名がありますし、「実は明王じゃないか」との説もあるとか。変化観音としては遅めに漢訳が成されたそうです。
ご利益は仏敵を退き砕き、日輪として衆生を照らすこと。煩悩の破砕も行います。「菩薩なのに怒っているのは納得いかない」とのご意見もあるでしょうが、十一面観音の360度盛りヘア的な顔の中にも怒りをあらわにしたものはあるのです。優しい人だっていつもニコニコしているわけではなく、時には愛情を持って叱ることもある、というのが馬頭観音なんですね。名前の通り頭部には馬がおり、家畜の守護神ともされます。額には第三の目が存在。

母と呼ばれる准胝観音

性別不明の菩薩の中、ハッキリ女性であるとされる観音です。というのも、救済の手段として、あらゆる菩薩を生んだ「母」の側面を持つんですね。
それも、七千万という驚異の数。鬼子母神に遠く及ばない脅威のビッグマミーです。別名は七倶胝仏母。「倶胝」というのが「途方もに単位」を表しており、ビッグマミーであることの裏付けにもなっています。腕がわらわらと多いため、千手観音と見分けがつきづらいでしょう。
ただ、腕の数が左右会わせて十八本と比較的スッキリしているので、ある程度数えれば分かります。また、第三の目を額に持ちます。ちなみに、女性的な変化観音には水月観音なども存在。

何でもあり?如意輪観音

変化観音の最終形態です。サンスクリット名はチンタ(如意)・マニ(宝珠)・チャクラ(法輪)。如意とは「意のままに」という意味。

ある意味でマジシャンのごとく、何でも出せるのは宝珠の力。
法輪に象徴される煩悩破壊の性格もあります。何でも出せるマジシャンと守ってくれるSPを足したようなこちらのご利益は、俗世でも出家しても「財に困らない」こと。ただ、ここでいう財が俗世と出家とで違うんですね。
在家では文字通りの金銀財宝、お金。出家時の財とは、智慧、福徳のことを表します。「坊さんだから、智慧の手助けしてあげよう」と、柔軟です。ポーズもなんだか十なんですが、これは「救う気持ちは揺らぎません」と言う決意の証。腕は六本ですが、石山寺(滋賀)や岡寺(奈良)には二臂の物があるようです。
法隆寺にも二臂の像がありますが、半跏思惟に似たポーズから弥勒菩薩ではないかと目されています。仏像ながらどこか女性的な印象ですが、どうやらモデルが女性だった模様。

まとめ

色々な思想、閃き等からどうとでも変化する観音様。様々な説話にも登場するほど親しまれているのは、どこか身近なイメージがあるからかもしれませんね。
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