仏像

菩薩の発展系、観音菩薩と、まだまだおられます菩薩群

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自信で修行をしながら衆生救済や現世利益のご利益を持つ菩薩たち。今度は「発展系」とも言える菩薩や、あまりメジャーでないと思われる菩薩をご紹介致します。

変化しまくり、種類豊富な観音菩薩

「~~観音」と呼ばれる面々です。「面々」といっても、ある意味では同一人物。阿弥陀如来の眷属であるためその姿を頭部に頂き(化仏と書いて「けぶつ」と読みます)、阿弥陀三尊像では脇を固めることもあります。スローガンは「大慈大悲で衆生を救う」。苦役から救うことを旨とするため、「観音様お助けください!」と聞けばすぐにでも聞き分けることから「観音」の名が付きました。ありがたい仏様ですが、地獄耳の主でもあるんです。日本に入って来たのは8世紀頃。「三十三の姿に変化する」ことから、千手観音、馬頭観音など聞き覚えのある観音が次々誕生しました。

【百済観音】
日本最古の観音像。と言っても、本当に日本で作られたのか今ひとつ分かっていないミステリアス観音でもあります。

【聖観音】
全ての観音像の基本形です。個々から次々と変形していくわけです。もとは通常の観音菩薩だったんですが、後述の「変化観音」誕生により、この名前になったといういきさつがあります。

【千手観音】
人気、知名度共にトップクラスと思われる「腕が沢山」の観音様ですね。インドではなく中国で初めて作られた、との説があるそうです。基本的に像様としてあらわされる腕は42本。持っている物のなかには化仏(阿弥陀様)や宝塔もありますが、ときには髑髏なども見受けられますし、武器らしきものを持っていることもあります。守り、救うためには武器をとることもあるということでしょうか。

【馬頭観音】
菩薩・観音のなかで唯一忿怒相をとるのがこちら。「もうそのあたりでいい加減に悔い改め、仏法に帰依しなさい!」といった気迫が伝わってきますが、もとは明王だったという説もあるため、忿怒相はその名残りとの説もあります。もとのインド神話では悪蛇退治や、神々の馬車馬に変身するといった説もあり、「馬頭」の名を頂くに至ったようです。「馬頭」になった理由としてはほかに「馬が草をはむように悪い心を取り去る」「馬は神聖な動物」などと諸説あります。

【如意輪観音】
煩悩を打ち砕く法輪を、思うがままにいくらでも出せるという仏様。ちょっとお行儀の悪そうな坐像が有名ですが、きちんとした座り方をした像も存在します。

【准胝観音】
清浄を意味するサンスクリット名、チュンディから来ています。この語は女性名詞でもあるため、そこから准胝仏母などの衣装を持つ「女性型」の観音として、子どもを守り安産を司るようになりました。 阿弥陀様の眷属、脇侍であり現世利益の性格も持つ観音様は、阿弥陀信仰の普及とともに人気が出たようです。多くが「異形」的外見を備えていることも人気のひとつかも知れません。「六観音」というグループまでありますが、これは宗派によってメンバーが違うようです。先に挙げたほか、『法華経』のなかでは「三十三観音」なるメンバーが存在します。一部は中国で新たに付け加えられたようですが、『法華経』も含めた、比較的近代の信仰のなか、徐々に整えられていったようです。

【十一面観音】
その名の通り、東部に11もの頭のついた観音様。微妙な表情の変化があり、後頭部にも顔を持ちます。悪行をする人間をたしなめる意味合いで大笑いしているわけですが、一番重要な気もするこの顔、個人的にはよく見えるようにしておいた方がいいのではないかと思います。基本的に二臂ですがたまに四臂の王も存在します。

アノ人物と関係深い? 四天王寺の救世観音菩薩

四天王寺に祀られているご本尊、救世(くぜ)観音菩薩。あまり有名ではないようですが、仏教を日本に取り入れて熱く信仰。その後初めて日本に寺を建てさせ、学校や老人ホームのもととなる施設を次々と作り出した聖徳太子は救世観音の生まれ変わり、という説があるのです。ポージングとしては半跏像(片足をさげた座り方)ですが、これは困っている人物を即座に助けられるようにとの決意の証だとか。四天王寺自体聖徳太子が初めて建てた寺ですし、納得がいくと言えばいく話ですね。ただ「救世観世音菩薩」という名前はよく知られたもの、というだけで正式なものではない様子です。観音の別名を「救世」と呼ぶ、なんて説までありますが、いずれにせよ当時の人にとって救いだっというのは確かかと思われます。

知恵の光と頭の水瓶が見分けポイント。勢至菩薩

こちら、阿弥陀様の右腕です。サンスクリット名はマハーストハーマブラーブタ。結構長いお名前ですが、日本では「勢至菩薩」、あるいは「大勢至」と呼ばれています。由来は「大勢を救うに至る」ため。知恵の光で衆生の心を明るく照らしてくれるようです。「迷ったり戦ったりするのはやめて、仏の道を歩きましょう」といったところでしょうか。見分けポイントは、頭に水瓶が付いていること。阿弥陀三尊だと合掌していることもあります。ちなみに独尊で作られることはまずないとか。

薬師如来の脇侍、日光菩薩、月光菩薩

薬師三尊として作られる菩薩がこちら。持仏や定位置で見分けは付けられます。

【日光菩薩】
薬師如来の左側。鑑賞者からすると右側に位置します。日輪や、太陽を模したものが持仏に乗っていたりもするのが特徴。

【月光菩薩】
薬師如来の右側に位置します。こちらは月をイメージしたものを持っています。何も持たずに合掌している場合もありますが、定位置でどちらがどちらかは分かります。

知る人ぞ知る薬師如来の脇侍です。薬王菩薩、薬上菩薩

「薬師三尊の両脇にいるから日光菩薩と月光菩薩だな。何も持ってないけど」と早合点しないように。薬師如来の脇侍は日光菩薩、月光菩薩だけじゃありません。

【薬王菩薩】
かつては憙見菩薩(きけん)という名前ですが、香油を体に塗って自分の体を燃やしたという見た目に反したインパクトのある逸話の主。密教では病気や怪我の治癒を旨とする、知る人も知る薬王菩薩法のご本尊だそうです。

【薬上菩薩】
薬王菩薩とは兄弟、とされています。ともに三尊像で脇侍を務めることもありますが、「どういう仏様か」については何も分かっていないそうです。

これまた知る人ぞ知る菩薩たち

【般若菩薩】
般若と言ったら鬼の顔を想像するかも知れませんが、もともとの「般若」はインドにおける思想の一体系。仏教においてはありとあらゆる物の真の姿を捉えるための知恵とされています。般若菩薩とは、仏の姿として擬人化・視覚化したものです。『大般若経』では本尊を務めます。眷属に般若十六善神が存在します。

【魚籃菩薩】
魚籃とは魚を入れた魚籠のこと。その名の通り魚籠を持っているか魚に乗った姿で表されます。で、何をするかと言うと毒竜や悪鬼などによる害を取り除くこと。インドではなく中国発祥の観音様です。ちなみに中国ではまるっきり違う伝承が伝わっています。その昔、魚を売る美女がいました。皆が「嫁さんになってけろ」と望むなか、魚売りの美女は、「お経をよく読む人の所に嫁ぐ」と言いました。10人が合格したので更なる選抜試験を行ったところ、馬氏のみが合格。結婚はしましたが、「私病気なの。具合悪いの」と寝床を別にしたまま亡くなります。そのときに正体を現した、というのが中国版魚藍観音です。ひと時とは言え馬氏の妻になったので、馬郎婦観音とも呼ばれていたそうです。日本に入り、江戸時代辺りに「魚に乗って悪鬼と戦う」性格になったと言われています。

【雲中供養菩薩】
平等院に多くその姿が見られます。名前の通り雲に乗っていますが、「雲中供養菩薩」という名前ではなく、一緒に来迎しに来る菩薩をこう呼んでいるのではないか、との見方もあるようです。平等院鳳凰堂(通称阿弥陀院)では52体の雲中供養菩薩像が見られます。

ちょっと変わった菩薩たち

【龍樹菩薩】
梵名ナーガールジュナ。実在した僧侶がもとになっています。お釈迦様の入滅から800年後、南インドにある鉄の塔から秘密の経典を取り出した。これが密教の始まりとされています。浄土教においても、阿弥陀三尊、お地蔵様と共に来迎に来るほどの方ですが、「同一人物」とされている、密教版と仏教版での決定的な根拠はないようです。

【馬鳴菩薩】
インドではなく、中国の、それも民間信仰がもと。衣食住のうち、衣を授けるとされています。かつて、衣の材料と言えば絹でした。そのさらに材料である蚕、あるいは養蚕機織りを司ります。読みは「めみょうぼさつ」です。

五大明王の前身? 五大力菩薩

菩薩で唯一の忿怒相をとるのが馬頭観音。ですが、こちらの五大力菩薩もまた、名前に菩薩こそついていないものの忿怒相をとる「菩薩」像です。もとは護法菩薩で、明王と一体化したとされています。金剛手・金剛利・金剛波羅蜜・金剛宝・金剛夜叉で、名前は経典によりことなるようです。役割としては、仏教の三宝(仏・法・僧侶)を守り救うことです。

まとめ

いろいろな菩薩様がおられますね。仏教発展のなかこうした菩薩が誕生したわけですが、師匠が弟子に教えるとき、はっと何かを悟ったこともあったんじゃないでしょうか。大半が「知恵」を司る菩薩のことで、「教育」「共育」の名のもと、偉大な知恵を人間たちに与え、功徳を積ませたことでしょう。もちろん、これからも。

生活密着仏の観音菩薩特集

皆さん、どういった時に神仏に祈りますか?困ったときのナントヤラで窮地に陥ったとき?それとも何かいいことを期待して常日頃?そこは、人それぞれあるでしょう。
数ある仏様のなかでも姿を変えてまで説法し、現世利益をもたらしてくれる生活密着型の仏様が、観音菩薩です。
「修行しなさい、よりよい来世の為に」ではなく、「現世でもいい目にあわせてあげる。だから修行しようね」というスタンスですね。
『法華経』曰く観音菩薩を信じれば困難を乗り越え、福徳を得るとのこと。

慈悲のシンボル

阿弥陀如来には大きな徳が2つあるとされます。それは智慧と慈悲。観音菩薩は慈悲を司る仏様なのです。『法華経』のなかで既にさまざまな姿に身を変えて衆生を救うとされています。『華厳経』では、文殊菩薩の助言で会う人会う人に道を訪ね回る善財童子とも対談。慈悲について語り、善財童子の成長に一役買いました。

『観音経』に記された、「普門品偈」とは

『観音経』という経典があります。「観音様とは、だくさんの人が苦悩しても、その声を聞いてたちどころに救ってくださるのだよ」といった広告塔のような性格を持ち、「観音経のおかげで助かりました!」という説話まで残されており、観音菩薩の活躍は『日本霊異記』などで知られます。
具体的なご利益としては、まず現世利益。
これは「生きている間にご利益を得られる」という意味です。そのほか、「観音様を念ずるだけで、火のなかに放り込まれても燃えない、漂流しても助かる、高い所から落ちても宙に浮く」と、功徳というにはあまりに大仰な内容も存在しています。
これは『観音経』に記された「普門品偈」と呼ばれる功徳ですが、「どんなときでも観音様は助けてくださる」と説いた物です。

相手に合わせて姿を変えるカウンセラー

カウンセリングとは、まず相手と共感するところからはじまると言いわれています。そういう意味では、三十三の姿に変化する観音様はさながら仏教界のカウンセラーとも言えます。ベースとなる聖観音(しょうかんのん)の「しょう」とは「正」という意味です。

極楽往生時は蓮華に乗せてくれる

平安末期頃になると、世界の終末を語る末法思想も相まって阿弥陀如来を信仰する浄土宗が増え、その部下に当たる観音たちの役目も浄土教に関かされて変化します。
天界・人間界・畜生界・修羅界・餓鬼道・地獄の通称六道で苦しみもがく衆生を、さまざまなお姿になって救うという役目です。極楽浄土へ向かうときには、「これに乗ってください」と、清らかな蓮の乗り物、蓮台を差し出す係を担当しています。阿弥陀三尊像では、蓮台を持ったお姿で表されることもあります。

功徳を体現、龍頭観音

三十三観音のひとつです。あまり聞いたことのない名前かも知れませんが、眷属として八大龍王と言う、名前を聞いただけでもタダゴトでない面々を眷属にしています。像容としては、龍の背、もしくは頭に載ったお姿で表されることが多いです。龍は聖なる存在であり、それを従えるというところに大きな功徳を感じますね。

水難ガーディアン、瑠璃観音

三十三観音の一尊です。見分けポイントは、瑠璃壺と呼ばれる香炉。洪水などの水難から救ってくれる功徳があります。もしも水難にあったとき、不可思議な、しかし暖かい光を見付けたらついていくのもいいかも知れません。それは、瑠璃観音の光なのです。

嫌な夢をいい夢に。夢違観音

「嫌な夢を見た」そんなときもあるでしょう。そんなときは夢違観音に祈ると、凶夢が吉夢に変わるとされています。
「夢は起きたら忘れる」とは言っても、気にする人は気にしますし、夢占いもある世のなかです。夢は心の鏡とも言いますし、詣でて見れば心持ちも明るくなるかも知れません。法隆寺は夢殿におわします。救世観音という名前で、聖徳太子の分身でもあるそうです。

図々しい要求にも応える観音

わらしべ長者という昔話があります。ある男が「楽して暮らさせてください」という図々しい願いを観音様にしたところ、「この寺を出て最初に掴んだものを持っていなさい」とのお告げがくだりました。
それに従い手にしたわらしべを次々用ものと交換し、最後は城主になるというお話です。

観音信仰ゆえに貧しさから救われた娘

ほかにも似た話がありました。ひとりの娘がいました。もとは裕福な家柄だったのですが、没落。残ったものは二尺ほどの観音像のみ。この観音像の手に縄を結び、花などを供え、「助けてください」と泣きながら訴えました。現在のように女性も普通に働ける時代ではなかった平城の世。そんな娘に好機が訪れました。夫になってくれるという人が現れたのです。多少のいざこざはありましたが2人は夫婦となりました。
しかし、夫はしばらく娘の家にとどまり、「食事を作って」と要求。「はい」と答えたものの、食材などありません。「何もない」と夫に言うわけにもいきません。貧乏なのが恥ずかしかったからです。

そこでまた観音像に祈るや、数時間後に近所に住むお金持ちの家の使用人が「お客さんがいるんでしょう。器は後でいいからね」と食事を持って来てくれました。

夫は翌日「じゃあ、お礼をしないとね」と、絹や食材を持って来ました。早速着物を縫い、食事を作ります。しかし、その金持ちも使用人も「昨日?知らないわ」という態度。訳が分からないまま帰ると、家の観音像が、娘の作った着物を着ていた、というお話です。

美貌にあやかれる?楊貴妃観音

京都の泉涌寺の観音堂におわします。厳密には聖観音菩薩で、楊貴妃観音というのは通称。
唐の時代、玄宗皇帝が寵愛していた世界三大美女のひとり、楊貴妃の名を持つのは、もともと彼の国から送られてきた為です。
実際には唐ではなく宋の時代の作。今尚楊貴妃の美貌にあやかりたい女性参拝客はあとを絶たないそうです。よく見るとひげがありますが、優しい表情や指のしなやかさなどが優美で女性的。
浄光明寺にも楊貴妃観音の異名を持つ石像がありますが、こちらはより女性的な表情。少し憂いを称えた表情が清らかで、美に関してご利益がありそうですね。

キリシタンの支え、マリア観音

江戸時代ともなると、キリシタン弾圧が激しくなりました。踏絵などでキリシタンであると発覚すればすぐに奉行所に連れていかれて、場合によっては処刑。
何というむごい政策でしょう。しかしこれもある意味では平和のためなのでした。下手に信仰を許せば「みな平等!」と一揆などが起きる可能性もあり、事実、天草四郎の例もあります。そんなわけで禁止され弾圧に至ったわけですが、キリシタンたちも負けてはいませんでした。仏像をキリストもしくは聖母マリアに見立てて拝んでいたのです。
ことに、白衣観音は白い衣や女性的な印象からマリア様に見立てられたこともあり、今やマリア観音と呼ぶに至りっています。異教徒でさえ救うのが観音様です。

まとめ

いろいろなご利益があるものですね。三十三観音だけでなく六道を巡る六観音など意外に近くに感じられるのが観音菩薩です。
困ったときだけでなく思いだしたときなどに感謝の言葉を口にするのもいいかも知れませんね。

観音菩薩の変化姿と逸話・異名、逸話、有名寺

衆生が現世、つまりこの世にいる間に願いをかなえてくれる観音様ですが、全国津々浦々にある、有名処のお寺や観音像について、ときに逸話付きでご紹介いたします。

法性寺のボリューミーな厄除け観音

京都市は法性寺にある千手観音像。またの名を「三面千手」。
国宝ですが、事前に「拝観させてください」と申請のいる秘仏とされます。こちらは像容が少し通常の千手観音と違っています。顔が27個あり、うち2つは正面を向いた顔の両脇にあるという、阿修羅のバージョンアップバージョンのような像容です。

もう一尊の女性の味方・水月観音

女性を思わせる観音像と言えば准胝観音ですが、ほかにも美女系統の観音はいました。名前からして瑞々しくも美しい、水月観音です。
祀られているのは、東慶寺。このお寺の別名は、「駆け込み寺」。
北条時宗公の妻覚山尼が建てた物です。創設は鎌倉時代。ほんの数十年前まで、結婚は家同士のものでした。武家でも政略結婚が当たり前で、「女の子が産まれたから、あそこに嫁がせよう」と赤ん坊の段階で嫁ぎ先が決まっていました。9歳で結婚したなんて話もあるほど。
子供が産める年齢になれば「子供はまだ?何で早く男の子産まないの?何のためにここに嫁がせたと思っているの?」と「家と家との繋がりのための男児はまだか」といったプレッシャーがかけられていました。今だったら役所に行けば離婚届がもらえますが、この時代はそうもいきません。
女性側から離婚を切り出すこともできないし、逃げだしたところで帰るところもない、という時代。泣く女性を減らす為、いつからか東慶寺は駆け込み寺となりました。
そこに祀られる水月観音が女性の味方と目されるようになったのも必然かも知れませんね。

花のお江戸を守り、時代の変化を見守った寛永寺清水堂千手観音

ときは1625年(寛永2年)。江戸幕府成立からやっと四半世紀経とうとしていた頃のことでした。
「まだちゃんと体制ができてないから」と、寛永寺が建てられました。このお寺は、この時代に100歳越えという高齢を誇った天界大僧正の指示のもとに建立されたお寺です。京都には、鬼門に当たる北東を守護する比叡山があったため、江戸にも鬼門を守るためのお寺を作った、というわけですね。別名東叡山。
東にある比叡山という意味で、東京都が東の京都を意味するのに通じています。代々の将軍家の菩提寺となったこちら、本尊は薬師如来(秘仏)ですが、戊辰戦争などの戦火にも巻き込まれず江戸時代の面影を残す清水道の千手観音もまた秘仏。
戦をまぬがれて、千の腕で新たな時代へと移行する様を見守られたことでしょう。千手観音の御開帳は毎年2月、初めの午の日です。節分と被る場合はその後となります。

建立者も復興者も製作者も超有名人、天台寺聖観音像

観音菩薩をご本尊とするお寺を三十三観音と言います。
三十三観音は結果として日本中、信濃や最後くなどの地方別に点在するわけですが、奥州三十三観音の結願寺(ラストのお寺)の天台寺(岩手県)は、創設者がまず大人物。
東大寺で知られる聖武天皇です。
728年(神亀5年)完成の、東北最古のお寺なのですが、明治時代に入ると廃仏毀釈の波に呑まれました。さすがの「天皇が建てた」「東北最古」の名前もすたれ果てていきます。それを復興させたのもまた有名人でした。小説家にして尼僧の瀬戸内寂聴氏です。天台寺の住職となったときにこの名前になったとのこと。復興は並大抵のものではなかったようです。
廃仏毀釈をまぬがれたご本尊の聖観音も有名人が作ったもの。仏僧の行基です。
人物以外でも、古来より霊水の湧き出る桂の木があるといった信仰があり、個々の聖観音はその桂から作った、桂泉観音と呼ばれています。

弘法大師が制作、厄除け立木観音

滋賀県の立木山安養寺では、弘法大師空海の彫った観音像があります。
それは弘法大師が、琵琶湖と通じる瀬田川を越えられずに困っていたときのこと。川の向こうに輝く木があり、ありがたい木があるのに渡れないと途方に暮れていると、どこからともなく白い鹿が現れました。そしてその背に乗ると、驚くほどの跳躍力で向こう岸に到達し、観音菩薩となりました。この地についた「鹿飛(ししとび)」の名は伝承と共に残っています。
そしてその年が厄年だった弘法大師は、「導いてくださったのだ。今後の人の厄除けの為にこの木で仏様を彫ろう」と決意しました。高野山を開いたのは、この出来事のあとのことです。このお寺は派元高野山の異名をとります。

釈尊寺布引観音

「牛に惹かれて善光寺参り」という言葉を聞いたことがおありでしょうか。
この言葉にはもとがあります。
昔々、釈尊寺の辺りに信仰心のまったくない、心根の卑しい老婆がいました。川で布を洗っていると、どこからともなく牛が出現。角に布を引っかけて持っ行ってしまいました。「待たんか!」と老婆は、とても足の速い牛を追いかけていきました。着いたところは善光寺です。
そこに牛はおらず、仏様の威光が老婆を照らし出しました。このとき、足元に何やら光る物がありました。牛のよだれですが、仏様からのメッセージ文となっていました。
以降、婆様のなかに仏を敬う心が芽生え、熱心に祈るようになったとのことです。後々「あれは仏様の化身だったんだ」との考えに至ったようで、先のことわざが「何かの導きで、いい方向に物事が行く」として伝わりました。 着いたところが善光寺であって、布引観音を祀るのは釈尊寺です。お間違いなきよう。

不死身の尼僧と関わりある千手観音像

東京との青梅市は塩船観音寺です。ご本尊は十一面千手観音。
八百比丘尼をご存知でしょうか?
人魚の肉をそれと知らずに食べ、不老不死となったとされる人物です(諸説あり)。誰と結婚しても必ず死別するので出家した、というこの人が、塩船という土地に紫金の千手観音を置きました。塩船というと名前、実は後付けです。この辺りが丘に囲まれており、行基という僧侶が「何だか衆生を救うべく仏が遣わされた船のようだ」と言ったことがもとになっています。

まとめ

全国津々浦々にある伝承、仏像、意外な人物が意外な事件やお寺に関わっていたりするものですね。
変わった仏様もいますが、謂れを聞けば納得の面白いお話も聞けるでしょう。場所によっては秘仏であることもあるので、事前連絡もしくは確認をお勧めします。思いもかけないところで、美仏たちがあなたを待っていますよ。
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