自由闊達の意味・使い方
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何事にも束縛されることなく、自分の思うように行動する様子。
のびのびと思うがままに振る舞う様子。
のびのびと思うがままに振る舞う様子。
由来
元々は「自由」という言葉と「闊達」という言葉を組み合わせてできた四字熟語です。「自由」という言葉には「他からの束縛や命令を受けないで自分の意思で行動する」という意味と「自分が思うままに勝手気ままに行動する」という二つの意味があります。
前者は明治時代に福沢諭吉が英語の「free」を「西洋事情」の中で「自由」と訳したために日本で使われるようになったと言われています。
またもう一つの「勝手気ままに行動する」の意味で使用されている中国の漢の時代の書物で「後漢書・閻皇后紀」というものがあります。以下はその文章です。
「是に於いて閻景は衛尉と為り、閻耀は城門校尉、閻晏は執金吾となり、權要にして、威福自由なり」
とあります。皇后の兄弟や親せき達が重要な役職を勝手気ままに専横していたことが書かれているのです。
日本では兼好法師の「徒然草」に記載があります。
「この僧都、みめよく、力強く、大食にて、能書・学匠・辯舌、人にすぐれて、宗の法燈なれば、寺中にも重く思はれたりけれども、世を軽く思ひたる曲者にて、万自由にして、大方、人に従ふといふ事なし」
現代語に訳すと、
「このお坊さんは、男前で見た目もよく、力も強くて、さらに大飯ぐらいでした。達筆で、頭もよく、話も上手でした。人と比べて全てにすぐれており、お寺の中でも一番のお坊さんでした。しかし世間を小馬鹿にしている感じがあり、曲者でもありました。すべて勝手気ままにやって、人の言うことなど聞きませんでした。」
となります。
前者は明治時代に福沢諭吉が英語の「free」を「西洋事情」の中で「自由」と訳したために日本で使われるようになったと言われています。
またもう一つの「勝手気ままに行動する」の意味で使用されている中国の漢の時代の書物で「後漢書・閻皇后紀」というものがあります。以下はその文章です。
「是に於いて閻景は衛尉と為り、閻耀は城門校尉、閻晏は執金吾となり、權要にして、威福自由なり」
とあります。皇后の兄弟や親せき達が重要な役職を勝手気ままに専横していたことが書かれているのです。
日本では兼好法師の「徒然草」に記載があります。
「この僧都、みめよく、力強く、大食にて、能書・学匠・辯舌、人にすぐれて、宗の法燈なれば、寺中にも重く思はれたりけれども、世を軽く思ひたる曲者にて、万自由にして、大方、人に従ふといふ事なし」
現代語に訳すと、
「このお坊さんは、男前で見た目もよく、力も強くて、さらに大飯ぐらいでした。達筆で、頭もよく、話も上手でした。人と比べて全てにすぐれており、お寺の中でも一番のお坊さんでした。しかし世間を小馬鹿にしている感じがあり、曲者でもありました。すべて勝手気ままにやって、人の言うことなど聞きませんでした。」
となります。
意味の変遷
「自由」だけでもこの四字熟語に近い意味合いがあったのですが、それに「闊達」という言葉をつけて強調しています。
闊達とは、心が広くて小さいことにこだわらないことを指します。また、度量が広く小さいことを気にしないという意味も持っています。
この二つを組み合わせることで、「小さいことにこだわらずに自由気ままに行動する」という意味合いになったと考えられています。
現在でも自由気ままな人を指して使用するという使い方は変わっていません。
闊達とは、心が広くて小さいことにこだわらないことを指します。また、度量が広く小さいことを気にしないという意味も持っています。
この二つを組み合わせることで、「小さいことにこだわらずに自由気ままに行動する」という意味合いになったと考えられています。
現在でも自由気ままな人を指して使用するという使い方は変わっていません。
使用法、使用例
「あれ?あいつはどこに行ったんだ?仕事を頼もうと思ったのに。」
「あいつは自由闊達なやつだからな。誰も行動がよめないよ。」
「あいつは自由闊達なやつだからな。誰も行動がよめないよ。」
類似した意味のことば
闊達自在・・・小さいことを気にしないで自由に動き回る様子。