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天台宗のベース、一念三千とは?

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算数、数学は積み上げ教科と言われます。高度な計算方法も公式も数式も、全て加減乗除(足す、引く、かける、割る)の基礎ができていないと始まりません。
何事にも大事なベース、土台があるのです。仏教から派生した密教、天台宗にもそんな土台となる教理がありました。その名は一念三千。何だかスケールの大きそうな名前です。

一念三千とは何か

一念とはちょっとの間。その間に三千もの姿、宇宙のありようが込められているとの意味になります。
分かりやすく言えば「ちょっとした動作や考えの中にも宇宙の真理が関係している」と感じることです。まずは瞑想をし、「今考えたことも宇宙と関わりがある。瞑想していることも、食事をすることも全て宇宙の真理だ。というか、自分と宇宙を分けることはない。だって元々一つなんだから」との境地に至ります。
日常、自分、宇宙をイコールで結びつけると言うより、境界線をなくして「宇宙?自分?それ何?私は普通に生きているだけだよ?」との境地を目指すのです。

三千という数字はどこから来たのか

「一念三千」とはいっても、この三千は何なのでしょう。これはよく言われる「三千世界」の事ではありません。
地獄や畜生道、人間堂を含めた六道と、悟りの世界に近い四聖から成る十界が元になっています。十界は独立しているように見えて実はお互いの中に別の世界を含んでいるとされます。これにより、十界にそれぞれ十通りあるとされて百界とも呼ばれるのが天台宗で言う十界具足です。
この百界も更に分けられます。十如是(じゅうにょぜ)です。相性、能力、形体、作用、直接的な原因、間接的、もしくは条件付きの原因、それらに対する結果、縁や報いなどに関する間接的な結果から成り立ちます。百界にまた十をかけて千になります。
これに五蘊世界、仮名世間、国土世間に三つをかけて三千となるのです。単に数を賭けるのではなく、それぞれが互いに働きかけているので三千通り、ということで一念三千。
これだけの真理、世界を日常の中に意識して、やがてはそれと一体化するのが天台宗の基本の修行、教理です。

一念三千の元になった一心三観

一念三千には元となる理念がありました。その名は一心三観です。
「衆生の心は常に変わるけど、空、仮、中(くう、け、ちゅう)の三つの真理(三諦)は絶対だよね。これを会得しよう」というものです。この世の全ては実体のない物だとする空、それを理解した上で「でも一時的には存在しているよね」と衆生救済に向かう仮、空と仮の後に続く中は空も仮も超越し、言葉というものでは表せないほどの境地を言います。

一念三千は仏法の極意?日蓮宗のご本尊、十界曼荼羅

「一念三千は仏法の極意だな」と結論付けた僧侶がいました。日蓮上人です。
仏教にはやがて仏の教えが廃れて世が乱れるこの世の終わり、末法思想が存在します。日蓮上人は一念三千こそ仏法の極意だとして、「末法の世界にこそ一念三千を実践しよう」と考えました。そして、キングオブ仏典ともいわれる『法華経』を、まさにバイブルにしていました。「『法華経』の後半(本門)に出てくる仏様を描いた曼荼羅をご本尊にしよう。重要なのは、お題目を唱えることだ」として、十界曼荼羅をご本尊にしました。十界曼荼羅は日蓮上人オリジナルの曼荼羅となります。一念三千は十界が元になっています。それで、十界曼荼羅というわけです。
ちなみに『法華経』の本門とは「お釈迦様はゴータマ・シッダールタとして生まれる前に悟ってましたよ。全ての衆生はいずれ仏陀となりますよ」と言った内容になります。

まとめ

名前だけでなくとんでもなくスケールの大きい思想もあったものです。
ちょっとしたあくび、髪の毛をいじる動作などにも宇宙の力が働いていたのですね。何だか毎日が違ったものに見えて来そうです。
ちょっとしたことにも感動を覚えるのが、本来あるべき人間の姿なのかもしれません。
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