仏像

誰でもできる仏道修行、作務

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時たま「無責任だな」と思わせるキャッチコピーに出会います。
「誰でもできる」といった類のものです。また「自分にもできたんだから、あなたにもできる」と言った何の根拠もない言葉も存在します。しかし、本当に誰にでもできることがありました。

一番にすべき修業は掃除

作務(さむ)とは、元は禅宗の修行法です。
具体的な内容としては日々の雑用、主に掃除などが挙げられます。特に重要視されるのが掃除です。
お釈迦様の弟子に、チューラパンタカという人物がいました。自分の名前も書けるか危ういとされるほどの頭脳の主だったチューラパンタカは、経文を覚えることができませんでした。あまりに出来がひどかったので、共に仏僧となった優秀な兄からは見捨てられます。
しかし、お釈迦様は見ていました。「経文は良いから、庭掃除をしなさい」と語りかけたのです。但し、只掃除をするのではなく「塵を取る、垢を取る」と唱えさせます。
頭は良くなかったもののその分純粋だったのでしょう。素直に掃除を続けるうち、チューラパンタカは優秀だった兄よりも先に悟りを得ました。その内容とは、呪文の通りです。
塵や赤は煩悩や迷い。それを取れば、真理が見えると言うもの。心を込めて掃除をすれば自然と気持ちもさっぱりしますし、掃除が効率的な修行法とされているのもうなずけます。
掃除の他、畑仕事なども行うのが禅宗の特徴です。他の宗派では、「物を所有すべきではない、修行に専念すべき」として、労働を禁じています。

働かざるもの食うべからず

その昔、百丈という僧侶がいました。この人は作務修行を熱心に続けていました。
8世紀頃の人物ですが、90歳を過ぎても元気に働いていたのです。弟子たちは「いくらなんでも働きすぎではないか」と、こっそり農具等を隠してしまいます。
「これで師匠も休めるだろう」との思いやりからの行為ですが、百丈和尚は「働かないなら、ワシは何も食べない」といきなりの絶食宣言。そして実際に食べませんでした。
「おじいちゃん何を言ってるの」となるところですが、これは「一日働かないなら、一日食わず」という自分への戒めでした。
これは少々やり過ぎの感もあるでしょうが、作務こそ修行との考えがあればこそです。

作務のおかげで廃仏を逃れた禅宗

百丈和尚が世を去って後の845年、唐の武宗という皇帝が廃仏を行いました。
「坊主共は働かないし、お布施で豪勢な寺を建てている。無駄飯食いを養う余裕はない」というのが武宗の言い分です。これにより数多の寺院が焼かれて、僧侶たちも還俗させられました。
禅宗は作務を修行として行っていた為、こうした憂き目に遭わずに済んだのです。

まとめ

仕事も掃除も、毎日していれば何のことはありません。修行だと思えば少しは身が入るでしょう。
禅宗では「日常生活すべてが修行」との考えもあります。まずは簡単な掃除から始めてみるのもいいかもしれません。いきなり無上の悟りは得られませんが、達成感は味わえます。
それが明日への活力に繋がり、きっとあなたの肥やしとなるはずです。

監修:えどのゆうき
日光山輪王寺の三仏堂、三十三間堂などであまたの仏像に圧倒、魅了されました。寺社仏閣は、最も身近な異界です。神仏神秘の世界が私を含め、人を惹きつけるのかもしれません。
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