仏像

古代インドのニューエイジ僧侶、沙門

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「何で違う呼び方をするのだろう?」そう思うことはありませんか?
現在准教授と呼ばれる肩書は、かつて助教授とされていました。時代の波で、物の呼び方も変わります。肩書も変わるものなのです。
たとえば、「沙門(しゃもん)」もその一つと言えます。

同じ「僧侶」でも意味合いが違う?

元はサンスクリット語で努力を意味するシュラマナから来る沙門は、今では比丘、つまり修行僧と同じ意味で使われていました。
ところが、元々は仏教だけではなく、ジャイナ教、ヴェーダ教などの宗教における修行僧全般を指す言葉でした。つまり沙門とは「古代インドの坊さん」です。

バラモン以外の僧侶

時代はバラモン教が幅を利かせていた頃。現在カーストとされる四つの身分制度の頂点に君臨していたバラモンは、四住期(しじゅうき)なる生活を理想に掲げていました。これは人生を四つの期間に区分けしたものです。
まずは師匠について聖典を学び(学生期)、師匠の許可が出れば家に戻って妻をめとったり守ったりします(家住期)。後継ぎが生まれて老年に差し掛かる頃には人里を離れた場所で修行(林住期)、最後は社会的地位から何から、全てを捨てて全国を回り、教えを説く(遊行期)のが当たり前でした。
しかし、バラモンが力を持っていたのは、人々が物々交換で暮らしていた頃です。貨幣が出回るや、実権はクシャトリヤ(王族)が握るようになりました。バラモンの権威は失墜し、「バラモンはもう古くないか?」とばかりに新たな思想が生まれます。
「バラモンは威張っている、そんなのは間違いだ。人はみんな平等であるべきだろう」というのが大まかな沙門の考えです。
古代インドでは今の身分は前世の影響とされており、輪廻の輪から抜け出す解脱の実現の為、沙門たちは苦行や瞑想などを行いました。

釈尊曰く「欲を正しく知り、自由である存在」

お釈迦様も沙門の一人です。バラモン教の時代、師匠についてはいたものの「何か違う」と感じて、苦行に身を投じたりして真理を求めました。
元の身分はクシャトリヤ、王子です。何不自由ない生活を送っていたのにもかかわらず出家をしたのは、「どんな身分でも苦しみがある。老いや病、そして死だ」と思い詰めたからです。
あまりに辛いので、気晴らしに出かけようとしますが、東門には老人、南門には病人、西門には死者がいて余計に苦しめられます。最後の北門には沙門がおり、まばゆく映ったのでしょう、「出家をすれば苦しみから逃れられる」と出家僧になったのです。
正確にはこの出来事から10年以上経過していますが、最終的に菩提樹の下で悟りを得たお釈迦様は、「この世で一番欲望についてよく知っていて、自由な物は何だと思う」と聞かれて答えました。「沙門です」と。欲望を知り尽くし、人生とはすべて苦であること、欲望や執着が苦を生んでいることをまず認めれば、執着を捨てれば楽になれると気づきます。
つまり、自由になるというのです。バラモンではなく沙門だと答えたのは、自分自身が沙門であり、実体験を語ったのに過ぎません。

まとめ

どの時代でも新たな波は訪れます。仏教も分裂をし、宗派はかなりの数に上りました。
古代インドから生まれたニューエイジ僧侶の中から、後世まで残る仏教が誕生したことは偶然ではないでしょう。
今後仏教がどのように展開していくのかも興味深いものがあります。

監修:えどのゆうき
日光山輪王寺の三仏堂、三十三間堂などであまたの仏像に圧倒、魅了されました。寺社仏閣は、最も身近な異界です。神仏神秘の世界が私を含め、人を惹きつけるのかもしれません。
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