日本史

一万年以上昔には何があったのか?旧石器時代にあふれるロマン

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旧石器時代の話題は、歴史の教科書にはほとんど登場しません。
今から約1万年以上前の時代は、日本の考古学では先土器時代などとも呼ばれ、文化・文明と呼べるものがなかった時代という認識が強いのではないのでしょうか。
そのため、多くの人が思い浮かべるのが、ナウマンゾウやマンモス、打製石器、といったところだと思います。とはいえ、私たちの祖先の暮らしには、思いもよらない事実があったはずです。

歴史の授業で教わる旧石器時代

歴史の教科書における旧石器時代の記述は、実にあっさりとしたものです。
わずか2-3ページ、といったところではないでしょうか。大学などで専門的な研究に従事でもしない限り、多くの人は旧石器時代について学ぶ機会が乏しいのが現実です。さらに、ドラマや小説にもしづらい時代ですから、興味を持つ機会そのものが少ないといえるでしょう。

この時代の教科書的キーワードは、日本と大陸が地続きだった、氷河期、打製石器、といったところ。また、群馬県の関東ローム層から岩宿遺跡を発見した考古学者・相沢忠洋や、長野県野尻湖の遺跡からナウマンゾウの骨と打製石器が発見された、というのもセットで覚えた人も多いと思います。大学入試では、岩宿遺跡と野尻湖遺跡以外の出題頻度が高くないことから、これらのキーワードと関連する遺跡名、その特徴さえ押さえてしまえば、授業では旧石器時代に別れを告げてしまいます。

岩宿遺跡が見つかるまでは、先土器文化の時代はないと考えられていただけに、これでも教科書の記述は増えたのだと思われますが、本来はもう少し踏み込んだ授業を行うべきなのかもしれません。

世界の旧石器時代

旧石器時代は通常、「前期旧石器時代(260万年前-30万年前)」、「中期旧石器時代(30万年前-3万年前)」、「後期旧石器時代(3万年前-1万年前)」の3つに区分されます。

前期旧石器時代は、ハンドアックスが広く製作・使用された時代。中期旧石器時代は、剥片石器が出現し、ネアンデルタール人が広がった時代です。後期旧石器時代になると、石器は急速に高度化・多様化し、現代人の原型とも言えるクロマニヨン人が主流となった時代です。

この時代の人々は、狩猟や採集で食料を獲得していたようで、石を打ち欠いてナイフや槍、ハンドアックスなどの道具が作られました。後期旧石器時代には動物の骨で作られた釣り針なども発見されています。

日本では、後期旧石器時代の遺跡は北海道から九州にかけて5000カ所が確認されています。
前期および中期についても、数は少ないながらいくつか確認されています。ちなみに、世界史や人類史の視点では、石器の分布によって文明を測るのが通例となっています。しかし、日本には縄文土器や弥生土器といった時代によって特徴が大きく異る「土器」が存在するため、こちらを指標として文化を測るのが通例となっています。

日本産の黒曜石が国外で発見される!

先史時代などとも呼ばれる旧石器時代は、人々は狩猟と採集に明け暮れて高度な文化は持っていなかった、と考える向きがあると思います。

しかし、ロシアの極東地域からは、北海道産の黒曜石が発見されています。これは、氷河期に北海道が大陸と地続きだったことが要因として挙げられます。この時代の人や物の交流は、現代人の想像よりもはるかに盛んだったといえます。これだけの距離を移動していた事実は、「文化を持っていなかった」と簡単に言い切れるものではありません。

縄文時代に入ると日本は海によって大陸と離れます。これは、地続きだった時代のように交流が簡単ではなくなったことを意味します。それでも、縄文時代早期に北海道で見られる石刃鏃(せきじんぞく)という石器は、アムール川流域やシベリアの影響を受けていると言われています。また、サハリンや沿海州で、北海道白滝産の黒曜石が発見されています。

私たちが授業で教わった以上に、そして私たちが想像している以上に、旧石器時代の人たちは遠方の人々と盛んに交流していたことは、驚きに値します。

吉野ヶ里遺跡から発掘された旧石器時代の遺物の意味

佐賀県の吉野ヶ里遺跡は、弥生時代の遺跡として非常に知名度の高い遺跡です。発見時には、その規模があまりに大きいことから、邪馬台国論争の九州説派の研究者からは歓喜の声が上がりました。

その弥生時代の吉野ヶ里遺跡から、旧石器時代の遺物としてナイフ型石器類が20数点出土しています。
数の少なさには理由があります。1つは、弥生時代以降にこの土地を利用する際、旧石器時代の遺物を破壊した可能性があるから。もう1つは、弥生時代の遺構を保存するのが最優先とされていますから、発掘調査がその下の層まで及んでいない、という理由です。本格的な調査を行えば、吉野ヶ里遺跡から数多くの旧石器時代の遺物が発見されるかもしれません。

吉野ヶ里遺跡に限らず、全国に点在する縄文時代、弥生時代の遺跡を再度調査すれば、日本列島の旧石器時代の概要がもう少し詳しくわかるのではないでしょうか。

「神の手」事件が与えた旧石器時代研究への影響

日本各地に「原人ブーム」を巻き起こし、日本にも原人がいた、という裏付けとなる数々の発掘を行った考古学研究家がいました。
彼の名は藤村新一氏。2000年11月5日の毎日新聞朝刊のスクープにより、彼の発見した日本の前期・中期石器時代の遺物や遺跡は、全て捏造だったという、日本の考古学史上最大のスキャンダルが発覚しました。

藤村氏は次々に歴史上の大発見となる遺跡を「発見」。周囲の研究者が期待するような種類の石器を、その発掘が望まれる地層から掘り出し続けたことから、藤村氏は後に「神の手」と呼ばれるまでになりました。

このスキャンダルにより、教科書の石器に関する記述は消され、大学入試問題は作り直される、などの大きな影響が出たほか、海外のマスコミには「日本人が歴史を歪曲しているのが証明された」などと報道され、日本の考古学や歴史学の権威は地に落ちました。

この事件によって明らかになったのは、日本の旧石器研究が火山灰層の年代にのみ頼りがちであったという、研究方法そのものの未熟さでした。なお、縄文時代以降では、遺構は地下を掘削して造られるため、真偽の判定が容易であることから捏造は事実上不可能です。
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