仏様の像容で見る時代背景、お国柄・海外編
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仏像というもの、今でこそ当たり前にあって当たり前に参拝されていますが、そもそもの始まりはどうだったんでしょう?
仏像と言えば日本!と思われるかもしれませんが、仏教も仏像も発祥はインドです。時代やお国柄によって、様相も違うんじゃないでしょうか。まずは海外の初期から、お国独自の仏像を見ていきます。
仏像と言えば日本!と思われるかもしれませんが、仏教も仏像も発祥はインドです。時代やお国柄によって、様相も違うんじゃないでしょうか。まずは海外の初期から、お国独自の仏像を見ていきます。
仏教三体系
その前に、仏教にもある流派、宗派を簡単にご説明。
【上部座仏教】
仏陀はお釈迦様のみとする宗派。出家して修行の挙げ句なれるのは、神通力を持った「何か凄い坊さん」。しかし、これが初期型の仏教ではあります。
【大乗仏教】
上部座仏教に疑問を持った面々が起こした宗派。出家しなくてもOK、仏陀には誰でもなれるし、菩薩など、仏の種類も豊富。
【密教】
仏教とヒンドゥー教を混ぜたようなもの。呪術的な要素もありますが、恐ろしい物じゃありません。トップは大日如来で、明王は密教の出身。曼荼羅も密教独自の物です。
【上部座仏教】
仏陀はお釈迦様のみとする宗派。出家して修行の挙げ句なれるのは、神通力を持った「何か凄い坊さん」。しかし、これが初期型の仏教ではあります。
【大乗仏教】
上部座仏教に疑問を持った面々が起こした宗派。出家しなくてもOK、仏陀には誰でもなれるし、菩薩など、仏の種類も豊富。
【密教】
仏教とヒンドゥー教を混ぜたようなもの。呪術的な要素もありますが、恐ろしい物じゃありません。トップは大日如来で、明王は密教の出身。曼荼羅も密教独自の物です。
世界初の仏像・伝承
お釈迦様のご健在の頃、世界初の仏像が完成しました。作らせたのは優填王(うでんのう)という、インドの王様。熱心な仏教徒だった彼は、お釈迦様が用事であの世に行かれた時など、ご不在の時でもそのご尊顔を拝せるよう、白檀の木で作らせたのが始まりとされています。とはいえ、これは伝承。実際はもっと後になってからでした。
始まりは骨
仏教が始まった頃、仏像はありませんでした。
しかし、指針は欲しい。そこで、仏舎利というものを拝んでいたわけです。これは、生前より人々を救済したお釈迦様の遺骨。昨今の人々は「私の遺骨は海にまいて」とロマンチックに語りますが、お釈迦様の遺骨もまた、崇拝対象としてあちこちに点在することとなります。
この時、箱に入れるなんて無粋な真似はせず、ストゥーパと呼ばれる石の塔に入れるのが普通でした。
日本では仏塔と呼ばれるこのストゥーパ、それなりの権力や富を持った信者たちが多く建て、囲いなどに「こんなに崇められてるよー」「こんなに人来てるよー」という物語的な彫刻が施されることもありました。今で言えば、観光地の広告のような役割もあったんでしょうね。
しかし、指針は欲しい。そこで、仏舎利というものを拝んでいたわけです。これは、生前より人々を救済したお釈迦様の遺骨。昨今の人々は「私の遺骨は海にまいて」とロマンチックに語りますが、お釈迦様の遺骨もまた、崇拝対象としてあちこちに点在することとなります。
この時、箱に入れるなんて無粋な真似はせず、ストゥーパと呼ばれる石の塔に入れるのが普通でした。
日本では仏塔と呼ばれるこのストゥーパ、それなりの権力や富を持った信者たちが多く建て、囲いなどに「こんなに崇められてるよー」「こんなに人来てるよー」という物語的な彫刻が施されることもありました。今で言えば、観光地の広告のような役割もあったんでしょうね。
お釈迦様の足跡
仏塔の時代、お釈迦様に関する物語が彫られることもありました。
しかし、「一個人を崇拝するのは駄目よ」というお釈迦様のお言葉もあり、肝心のお釈迦様ご自身を彫りこむことだけは暗黙の了解のようになされませんでした。
「うーん、お釈迦様数はいしたいなあ、でも仏塔まで遠いしなあ」という人のために用意されたのが、「お釈迦様の足跡」やら「お釈迦様が悟りを得た菩提樹」「これ動物だけど、お釈迦様を表してるの」といった、シンボル的な物。
ここまで来たら像を作ってもいいような気もしますが、まだ入滅からさして時間が経っていなかったこともあり、仏足石と呼ばれる「足跡」もまた、崇拝対象になっていました。
しかし、「一個人を崇拝するのは駄目よ」というお釈迦様のお言葉もあり、肝心のお釈迦様ご自身を彫りこむことだけは暗黙の了解のようになされませんでした。
「うーん、お釈迦様数はいしたいなあ、でも仏塔まで遠いしなあ」という人のために用意されたのが、「お釈迦様の足跡」やら「お釈迦様が悟りを得た菩提樹」「これ動物だけど、お釈迦様を表してるの」といった、シンボル的な物。
ここまで来たら像を作ってもいいような気もしますが、まだ入滅からさして時間が経っていなかったこともあり、仏足石と呼ばれる「足跡」もまた、崇拝対象になっていました。
インド様式
初期の仏像は、インド北部にあるマトゥラーという場所、そしてパキスタンに属するガンダーラで作られました。
時代としては紀元1世紀から3世紀の狗シャーン王朝期。ガンダーラの方が有名なのは、一つには歌の題材になっているからかもしれませんが、本当の意味で世界最古の仏像が作られたからとの説があります。さて、世界最古の仏像はどんなものかと言えば、「これが仏像?またまた」と思われるかもしれません。
確かに、服装などの特徴は仏像っぽいですが、どう見ても顔の彫などがギリシャ彫刻風。これは、当時のガンダーラがギリシャなどの支配下にあったため、仏像もその影響を受けて、現代日本人には新鮮な印象になったのです。ガンダーラ様式は、首から下は日本の仏像と大差ない感じに思えます。しかし、顔つきが西洋人形式です。優雅に脚組みそうにも見えます。ガンダーラ形式の半跏思惟弥勒像、何か優雅そう。
ではマトゥラー様式は?何て言うか、丸いです。
体型は普通ですが、像が全体的に角や緩急というものを感じさせない、穏やかな感じで「丸い」という印象を抱きます。ガンダーラ様式は、地名が有名な割にその後廃れて、マトゥラー様式が仏像の祖として隆盛を極めていくのです。
マトゥラー派、サールナート派と、流派も誕生。違いは、と言えば服装の表現の違いでしょうか。細かくきっちり作り込むのがマトゥラー派で、「はい、これが服ね。重要なのは仏様だから」とばかりに服装の作り込みがややぞんざいなのがサールナート派です。
またグプタ朝様式という物も存在。これはガンダーラ様式の流れをくむもののギリシャ的なイメージを排し、インドオリジナルの仏像として作られた物。後のアジアに広まっていく仏像の顔つきと似ています。
ちなみに、インドで有名なのはアジャンター石窟。石窟というのは、岩石などをくり抜き、その中に仏像を彫ったもの。グプタ様式はやや粗削りな印象のガンダーラ様式と違い、繊細で優美とさています。
時代としては紀元1世紀から3世紀の狗シャーン王朝期。ガンダーラの方が有名なのは、一つには歌の題材になっているからかもしれませんが、本当の意味で世界最古の仏像が作られたからとの説があります。さて、世界最古の仏像はどんなものかと言えば、「これが仏像?またまた」と思われるかもしれません。
確かに、服装などの特徴は仏像っぽいですが、どう見ても顔の彫などがギリシャ彫刻風。これは、当時のガンダーラがギリシャなどの支配下にあったため、仏像もその影響を受けて、現代日本人には新鮮な印象になったのです。ガンダーラ様式は、首から下は日本の仏像と大差ない感じに思えます。しかし、顔つきが西洋人形式です。優雅に脚組みそうにも見えます。ガンダーラ形式の半跏思惟弥勒像、何か優雅そう。
ではマトゥラー様式は?何て言うか、丸いです。
体型は普通ですが、像が全体的に角や緩急というものを感じさせない、穏やかな感じで「丸い」という印象を抱きます。ガンダーラ様式は、地名が有名な割にその後廃れて、マトゥラー様式が仏像の祖として隆盛を極めていくのです。
マトゥラー派、サールナート派と、流派も誕生。違いは、と言えば服装の表現の違いでしょうか。細かくきっちり作り込むのがマトゥラー派で、「はい、これが服ね。重要なのは仏様だから」とばかりに服装の作り込みがややぞんざいなのがサールナート派です。
またグプタ朝様式という物も存在。これはガンダーラ様式の流れをくむもののギリシャ的なイメージを排し、インドオリジナルの仏像として作られた物。後のアジアに広まっていく仏像の顔つきと似ています。
ちなみに、インドで有名なのはアジャンター石窟。石窟というのは、岩石などをくり抜き、その中に仏像を彫ったもの。グプタ様式はやや粗削りな印象のガンダーラ様式と違い、繊細で優美とさています。
中国様式
ガンダーラ仏が完全に廃れたわけじゃありません。
中国に仏教が渡り、最初の仏像が作られたのは3世紀から4世紀にかけて。その像にはガンダーラ仏の影響があるとされます。ところで、中国の仏像と言ったら「洞窟とかを削った中に大仏が埋まってる」イメージがあるんじゃないでしょうか。
つまり、石窟ですね。敦煌を始め、雲岡(うんこう)、龍門といった世界遺産に記録された石窟が複数存在。中でも有名なのが、先の三つです。
初期こそインド様式だった中国仏像ですが、後に自国独自の様式へと変化していきます。それ即ち、何だか細長いお姿。この様式、仏像は日本に伝わることとなりました。
中国に仏教が渡り、最初の仏像が作られたのは3世紀から4世紀にかけて。その像にはガンダーラ仏の影響があるとされます。ところで、中国の仏像と言ったら「洞窟とかを削った中に大仏が埋まってる」イメージがあるんじゃないでしょうか。
つまり、石窟ですね。敦煌を始め、雲岡(うんこう)、龍門といった世界遺産に記録された石窟が複数存在。中でも有名なのが、先の三つです。
初期こそインド様式だった中国仏像ですが、後に自国独自の様式へと変化していきます。それ即ち、何だか細長いお姿。この様式、仏像は日本に伝わることとなりました。
朝鮮半島様式
4世紀頃、朝鮮半島(今の韓国)に仏教伝来。高句麗、百済、新羅の順に伝わりました。仏像容は中国の北魏時代から伝わった、ガンダーラ様式。つまり、バタ臭バージョン。中国様式とガンダーラ様式のいいところ取りが、朝鮮半島の仏像のようです。といって、盗作ではなく、いい所を研究し、自国流にアレンジしたと言った方が近いでしょうね。朝鮮にも有名で立派な石窟はあります。慶州の仏国寺にある石窟庵。20世紀初期に見つかったそうです。
タイ様式
国民の9割が仏教徒というタイ。何でこうも仏教が信仰されているのかと言えば、初の王朝スコータイ王朝の王が出家したためです。
13世紀とかなり遅いですが、実は仏教自体は古くからありました。今でこそ、タイは上部座仏教が盛んのようですが、それもスコータイ王朝が起きるまでで、それまでは大乗仏教も信仰されていたのです。仏像容としては、頭が大きく肩が広い印象。
13世紀とかなり遅いですが、実は仏教自体は古くからありました。今でこそ、タイは上部座仏教が盛んのようですが、それもスコータイ王朝が起きるまでで、それまでは大乗仏教も信仰されていたのです。仏像容としては、頭が大きく肩が広い印象。
まとめ
同じ信仰でも国によっていかようにも変化しますね。信仰対象もまた時代によってどうにでも変わる物です。別の記事では日本の物を見ていきます。
監修:えどのゆうき
日光山輪王寺の三仏堂、三十三間堂などであまたの仏像に圧倒、魅了されました。寺社仏閣は、最も身近な異界です。神仏神秘の世界が私を含め、人を惹きつけるのかもしれません。
監修:えどのゆうき
日光山輪王寺の三仏堂、三十三間堂などであまたの仏像に圧倒、魅了されました。寺社仏閣は、最も身近な異界です。神仏神秘の世界が私を含め、人を惹きつけるのかもしれません。