世界史

北京原人は今も消息不明中。人類の祖先を巡る日中米による攻防の果てに

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「人間の祖先はサルです。」
現代に生きる私たちにしてみれば当たり前なこの知識ですが、皆さんは実際、その確かな証拠である「人間の祖先の骨」をご覧になったことはありますか?

理科室に飾っていある人体骨格標本にすら「怖い・・・」と恐怖を覚えてしまう方にとっては、これはちょっとした試練かもしれません。

上野・国立科学博物館の一角には、人間の祖先たる数々の古代骨格標本の本物からレプリカまで、時系列にズラッと展示されています。その標本の前に立つと、「人間の祖先はサルです。」という言葉が裏打ちする真実、つまり「自分も動物の進化形の一種に過ぎない」という証拠のリアルさに背筋がゾクッとします。

骨格標本は、1920年代のヨーロッパ各国では特に価値が高かった「証拠」でした。

世界各地を飛び回る科学者たちが収集する標本とダーウィンの『進化論』が示すものは、キリスト教圏内において何千年も常識とされており、教義の根底のひとつでもあった「人間は神の創造物である」という一文と真っ向対立するものだったからです。

すでに考古学者による発掘調査によって、どうやら人間のような霊長類が何十万年前にいたことは化石から明らかになっており、さらに現生人類直結の祖先らしき化石も発見されていました。

しかし、進化論からすれば理論上必ずいるはずの、類人猿と人間の祖先を繋ぐ決定的証拠である「人骨の化石」が見つかっていなかったため、キリスト教会の権威は「神への冒涜」として「人間の祖先はサルです。」と語るものたちを攻撃し、拒絶し続けていたのです。

その拒絶を打ち砕く「ミッシングリング」=「人間と類人猿を繋ぐ証拠」が、中国・周口店にて発見されたのは、1929年でした。

北京原人は火を使って中国北部の極寒を生き抜いた

類人猿と人間を繋ぐ決定的証拠がなく、もやもやしていた人々は、北京原人の化石が発見されたニュースに歓喜し、一部の人はにがにがしく思っていました。

1929年からスタートした発掘プロジェクトは、従来から高まっていた「ミッシングリング発見競争」に参加していたロックフェラー財団の強力なバックアップのもと、豊富な人材と富によって着々と進行していました。

ピテカントロプスからネアンデルタール人へと、正確に進化形態の推移が判別できるシナントロプスが、彼らの使っていた石器などの生活用具も合わせて周口店の洞窟から大量に発見され、シナントロプス・ペキネンシスと名づけられたその化石は、1936年までに大人25体分、子ども15体分にも及ぶ成果を上げました。

「ヒトとサルの間の、望めるかぎり最高の典型的なリンクを示すもの」と欧米の学会に紹介された北京原人は、合わせて「黒焦げになった動物の骨」がいくつも発見されました。

これは、北京原人が火を使うことができた証拠となり、さらに学会を驚かせました。

従来、人類の祖先は温暖な地域を中心に生息が確認されていたのですが、中国北部のような極寒の地でも、火を使えたグループは生存可能ということが明らかになったのです。

北京原人ってどんなスタイル?

中国・周口店には、北京原人の像が飾られた大きな発掘記念碑があります。

解析によると、北京原人の男性の平均的身長はおよそ155cm、女性は145cmと小柄でしたが、肩幅が広くて足が短く、筋肉隆々のたくましい体つきをしていて、額が狭く、幅が広く、目の上の盛り上がりが分厚いフェイスで、現生人類固有の身体的特徴である「おとがい」はありません。

脳の容積はおよそ900ccで、頭良すぎ!というほどはないけどソコソコはデキる、といった知能を持ち、それを包む頭蓋骨は分厚かったそうです。

グループを組んで狩猟採集民のように共同体で生活し、石器を使って動物や鳥や魚、木の実や野菜を集めて持ち帰り、火で調理することもあったことが、発掘された化石から分かっています。

狙われた北京原人はどこに消えた?

日本人にとって、「中国・周口店」という地名にはもうひとつ馴染みある事件がつきまとっています。

日本史の授業で習った「1939年 盧溝橋事件」は、北京と周口店を結ぶ要所「盧溝橋」が、何者かによって爆破され、日中戦争の引き金となった事件です。

この事件に、周口店の北京原人発掘調査プロジェクトチームは見事に巻き込まれました。

そもそも、「人類の祖先が北京で発見された」という事実は、当時アジアの盟主を目指していた日本にとって心地よい響きではありませんでした。中国人たちを正当化し、愛国心を高めるこの化石を、日本が奪取しようとしていたことは明らかとなっています。

すぐに日本軍は周口店周辺を制圧し、北京原人調査プロジェクトチームに「北京原人の骨を渡せ」と、その在り処を尋問しました。

しかし、このプロジェクトのスポンサーであったロックフェラー財団は先読みし、すでにアメリカ海軍を通して木箱の中に詰め込んだ北京原人の化石やその他の遺物を軍艦に乗せ、アメリカ本国に避難しようとしていたのです。

北京原人の骨が保管されているはずの「北京協和医学院」を1941年に接収したものの、すでに骨は証拠も残さず消失しており、日本軍の手に落ちることがなかったのですが、不思議なことが起こりました。

北京原人が詰め込まれた木箱をニューヨークの米国自然史博物館まで運搬するはずのプレジデント・ハリソン号が、任務のためにマニラから中国に向かう途中で日本の戦艦と遭遇して遭難した後、肝心の木箱の行方が分からなくなってしまったのです。

海を渡らずに中国国内に隠されているという説、アメリカの手で秘密裏に海を渡ったという説、日本軍が接収してどこかの研究室に眠っているという説、海の底に沈んだという説など、あらゆる推測と調査がおこなわれているのですが、いまだに消息は不明のままです。
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