世界史

ベートーヴェンの耳に関する新事実? 実は作曲活動に相応しい耳だった理由

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年末の代名詞といえばベートーヴェンの第九です。
古くから日本人にとっては「楽聖」と親しまれてきたベートーヴェン。彼の手掛けた楽曲は現代もなお人々に深く愛され、全部で9曲の交響曲や管弦楽曲、ピアノやヴァイオリンによる協奏曲、ピアノソナタ、歌曲他、今この瞬間にもどこかのホールで演奏されているに違いないほどです。

名曲ぞろいの楽曲以外に、私たちがベートーヴェンについて知っている一般常識を上げるなら「ベートーヴェンは耳が聞こえなかった」という足かせに関するエピソードではないでしょうか。

しかし、この当たり前と思われている耳のきこえの足かせについて、もうひとつの説があります。
ベートーヴェンは失聴者ではなかった可能性がある証拠が、20世紀後半から数々浮かび上がっているのです。

今回は、足かせに負けることなく「楽聖」となったベートーヴェンについてご紹介します。

彼の苦悩が美しい音楽の世界の扉を開いた

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、1770年に神聖ローマ帝国(現ドイツ)に生まれました。
日本では江戸時代後期、田沼意次が老中で豪腕を振るっていた時代です。

宮廷楽士の名家の血を受け継いだベートーヴェンは、幼児のころから苛烈を極めた音楽英才教育を受け、ピアノの腕を磨きます。

そしてわずか7歳で最初の演奏会を開き、10歳でオランダ演奏旅行に旅立ち、11歳で宮廷オルガニスト助手の職に就くほどの天才ぶりを開花させました。

しかし、宮廷音楽界での名声が響く影で、両親が相次いで死去し、残された兄弟の生活費などの面倒を見なければならない苦労を味わっていました。

1802年、ベートーヴェンは『ハイリゲンシュタットの遺書』を書き記しました。

鬱症状や奇行が人々の間で噂となり、その中でも音楽界のスターとして生き抜いた20代後半を振り返り、31歳になった彼が己の絶望の中から光を見出そうと書き記したことがうかがえるその手紙は、彼の死後、1827年に発見されます。

そこには、はっきりと「自分は難聴者である」ということと、「そのハンディを乗り越え、芸術家である自分を貫き通し、克服したい」といった趣旨の内容が記されていました。

この手紙が書かれた30代から、ベートーヴェンは後世にまでその名を轟かせることとなる交響曲第3番をはじめ、数々の名曲を生み出すのです。

ベートーヴェンの耳は彼の足かせとなっていたのか

ベートーヴェンの楽曲が私たちの心を震わせ、他の作曲家にはない感動を味わうエッセンスのひとつが、彼が生まれ持った音楽家の血と相反する運命というべき足かせ、「耳が聞こえない」という生い立ちへの知識ではないでしょうか。

彼の音楽を前にすれば、音が聞こえないことすら克服して、人々を感動させる音楽を何百曲も作り上げることができる、という奇跡を目の当たりにし、勇気が沸いてくるのです。

しかし、近年の研究によると、実は「ベートーヴェンは失聴者ではなかった」という説が有力視されているようです。

失聴ではなく耳硬化症による難聴だった?

ベートーヴェンの耳のきこえに関する伝説や記録に共通するのは、「人の話言葉や拍手は聞こえない」というものと、「オーケストラやピアノのミスには鋭く注意する」というものがあります。

56歳で死去したベートーヴェンの人生の半分は耳が聞こえない状態だったとされているのですが、20世紀後半から医療技術の進歩によって耳の病気に関する研究が蓄積されるに従い、「彼は耳硬化症だったのではないか」という説が有力視されるようになりました。

耳硬化症とは、内耳にある小さな「あぶみ骨」が変形・接着してしまい、動きづらくなることで難聴となってしまう病気です。今では手術によって治るのですが、幼い頃は骨が柔らかく動くので難聴が発見しづらい場合があり、大人になって骨が固まってくるにつれ、難聴が強く顕在する傾向があります。

低い音や遠くからの音は聞こえないけれど、自分で弾くピアノなどの音は聞こえるという症状が出るタイプの難聴は、「人嫌いで孤独が好きな、ピアノの鬼のベートーヴェン」というイメージと重なるのではないでしょうか。

難聴が何より辛いのは、耳鳴りが続くこともそうなのですが、他人との会話でのコミュニケーションがしづらくなることです。

ベートーヴェンは筆談を使用したのですが、これは失聴している証拠というよりも、他人と簡潔にミスなくコミュニケーションを取るための手段と考えることもできます。

彼の耳は、人の話し声や遠くの雑音をカットし、目の前のピアノの音のみに心を預け、集中して作曲活動をするに相応しい耳だった可能性があります。

まとめ

生涯にわたり伴侶を得ることがなく、人嫌いと揶揄されながらも、難聴ゆえの不自由なコミュニケーションを出来る限り避けてきたベートーヴェンは、『ハイリゲンシュタットの遺書』にて彼が足かせと感じていた事実を告白したことで、逆に強くなったのかもしれません。
彼は音楽を通し、聴衆と心を交わし、時を越えて勇気を与え続けています。
ベートーヴェンの楽曲は、戦いと励まし、そして様々な足かせに負けず頑張る人たちを賛美しているのです。
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