四字熟語

不倶戴天の意味・使い方

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生かしておくことができないほどの恨みや憎しみがあることのたとえ。

由来

日本語で読むときは、「倶に天を戴かず」と読み、「不倶」は「一緒にすることができない」、「戴天」は「同じ空の下で生きていくこと」という意味になり、二つが合わさると「自分と同じ空の下にいることが許せないほど憎い」という意味になります。

もともとは古代中国の儒学の経典である「礼記」の「典礼上」に記されています。
「父の讎は、與に共に天を戴かず、(父の仇は、これと共に天を戴かない。必ず殺す。)
兄弟の讎は、兵に反らず、(兄弟の仇を討つには、武器を取りに家に帰ることをせずにいつも持っている武器ですぐに殺す)
交遊の讎は、国を同じくせず。(友人の仇は、同じ国に住むことはできない。)」
というものです。

「礼記」は古代中国の道徳的模範となった書物です。中国では「君臣」「親子」「兄弟」「夫婦」「友達」の5つの関係を何よりも重要視していました。この関係を壊した相手に対しては必ず報復することでそのけじめをつけるという考え方です。いわば「仇打ちの正当性」の見本のようなものです。こうして仇を取ることことが道徳的に正しいとされたのです。

意味の変遷

日本でも江戸時代には儒学の教えが武士の間で広まり、幕府公認の学問とされていました。当然その中には「仇打ち」に関するものもありました。たとえば、武士が父親が殺されたりした場合、子供がその仇を取らなければいけませんでした。藩主に届け出を出した上で仇を追って旅を続け、見事に仇を討つことができれば藩に戻ることができたのです。つまり仇を討つまでは藩に戻ることが許されず、中には何十年も仇を追って旅を続けた人も居たようです。

仇打ちでは赤穂浪士の「忠臣蔵」が有名です。藩士たちからすれば吉良上野介はまさに「不倶戴天の敵」と言える存在でした。何年もかかって準備を続け、機会を狙い続けた赤穂浪士たちは見事に仇を討ち、江戸市民たちの喝采をあびました。

そのころから現在にかけても意味は変わらずに「絶対に許せない相手」「親や先祖代々の敵」という意味合いで使われています。さらに発展させて、「殺しても足りないほど憎い相手」「どんなに恨んでも恨みきれない相手」に対しても使われるようになってきています。

使用法、使用例

「なあ、あいつと仲良くやっていくことはできないのか?」
「できるわけないだろう!不倶戴天の敵だ、あいつは!」
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