仏像

何度生まれ変わっても変わらない決意。楠木正成が誓った七生報国とは

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時代と共に物事は移り変わります。言葉も例外ではありません。とは言え、簡単に変わらない者があるのもまた事実です。
それはすなわち、偏見と差別、そして思想。仏教では輪廻転生の考えがり、生まれ変わる旅記憶がリセットされるのが常ですがもしもリセットされずにいたら?一体どのような思いを抱くのでしょうか。

七生の意味

仏教には七生(しちしょう)という言葉があります。
これは「七度生まれ変わる」という意味です。
正確には、七回人間に生まれ変わることを言います。
それも、単に転生をするだけではありません。仏教の修行のステップの超初期段階、入門の部分に預流(よる)という段階があります。
人間界の生臭いことから、更に上の段階に至るまでのあらゆる煩悩を滅した状態、預流果(よるか)が当面の目標です。
預流果とは聖者を示し、この段階になると死後もう地獄や畜生道、修羅道に堕ちることはなく、常に人間界に生まれることになります。
生まれ変わるごとに更なる修業を積み、七回目の生を終える頃には涅槃という究極の悟りを得るに至るのです。
この七生が、ある戦国武将の死に伴いスローガンとして使われるようになりました。

楠木正成の誓い、七生報国

時は鎌倉時代末期。武士が政治を行っていましたが、鎌倉幕府はとうに衰退しており、後醍醐天皇の倒幕計画に加担した武将がいました。楠木正成です。
他にも足利尊氏や新田義貞なども参戦し倒幕に成功。正成は後醍醐天皇から強い信頼を受け、天皇による建武の新政では要職の席を耐えられます。
しかし、建武の新政は基本的に貴族や朝廷を重視した政治で、武士は不満を持ち始めました。これにより、足利尊氏が兵を挙げ、室町幕府が開かれます。
正成は湊川にて足利軍と衝突、敗れ去りました。この時、「七度生まれ変わって朝廷の敵を倒す」と誓い、弟(もしくは息子)と自刃。これにより「七生報国」という言葉が誕生しました。
自分の主君の為に七度も生まれ変わるとは、あっぱれな心掛けです。

太平洋戦争にも使われた言葉

時代が下り第二次大戦ともなると、「御国の為に戦え」との気風から、「七生報国」は、「忠君愛国」と並ぶ大日本帝国のスローガンになりました。
正成の場合はまだ弁護の余地はあります。一応は自分の意思で言ったのですから。しかし、敗戦へと向かう太平洋戦争のさなか、半ば洗脳的に叫ばれていたようです。
元々は煩悩を排して悟りを得て安らぎを得るための言葉が、取り様によっては「敵を殺してでも国に報いよ」との意味になってしまいました。
今でこそ間違っているとも何とも言われますが、当時としてはそれが当たり前だったのです。結果、日本は地獄の焦土と化しました。

まとめ

「七生報国」自体は、本来は強い信念の証であり、国の恩に報い、役に立つとの意味です。
「あの時代は間違っていた!」とただ糾弾するのではなく、「何故そうなった?そこからどんな教訓を得た?」と考えるのが得策ではないでしょうか。
仏教は因果の世界です。「七生報国」の名の下行われた戦争や、そこに込められた信念、そこに至る経緯を考えることで、何かしらの答えは見つかります。「七生報国」。
七度人間に生まれると言うことは、それだけ悩み考える機会が増えると言うこと。変わらない信念を持つのもいいでしょう。
しかし信念を持った以上は、それをどう生かすかが重要になってくるのです。

監修:えどのゆうき
日光山輪王寺の三仏堂、三十三間堂などであまたの仏像に圧倒、魅了されました。寺社仏閣は、最も身近な異界です。神仏神秘の世界が私を含め、人を惹きつけるのかもしれません。
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