一心不乱の意味・使い方
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意味
一つのことに集中していて他のことに気を取られないこと。
一つのことに心が向かっているので、他のものに心が乱されない様子。
一つのことに心が向かっているので、他のものに心が乱されない様子。
由来
もともとは仏教用語です。念仏が記されている「阿弥陀経」の中に「我体を捨て南無阿弥陀仏と一体なるを一心不乱というなり」という部分があり、そこから発生した四字熟語だと考えられています。
この意味は「我欲や自分の都合を捨てて、仏を信じ、念仏を唱えて阿弥陀仏と一体となることを一心不乱という」というもので、雑念や欲に惑わされることなく、一心に念仏を唱えて仏教の道を進むということをすすめているものなのです。そうして専念して修行に励むことで悟りを開くことができるとされています。
この意味は「我欲や自分の都合を捨てて、仏を信じ、念仏を唱えて阿弥陀仏と一体となることを一心不乱という」というもので、雑念や欲に惑わされることなく、一心に念仏を唱えて仏教の道を進むということをすすめているものなのです。そうして専念して修行に励むことで悟りを開くことができるとされています。
意味の変遷
現在では仏教の世界にとどまらず、一般的に使用されています。基本的には「わき目もふらず何かに打ち込んでいる様子」を表しており、それは仕事、趣味、スポーツ、勉強など種類を問いません。共通しているのは何か一つのことにとても集中して取り組んでいるということです。他のことが気になったり別のことを考えながら取り組んでいる場合には使用されません。
良い意味か悪い意味か
その意味合いから良い意味でも悪い意味でも使用されています。良い意味としては、わき目もふらずに集中して取り組むことで目標に突き進んでいることを評価する場合です。この場合は周囲は好意的に見ていると考えられます。江戸時代の米沢藩主である上杉鷹山の言葉に「為せば成る、なさねばならぬ何事も、ならぬは人のなさぬなりけり」というものがあります。これはそれほどの熱意を持って取り組むかどうかの気構えを表したものです。
しかし、この四字熟語は悪い意味でも使用することがあります。本来の意味ではなりませんが、何かに没頭しているために周りが見えていない、と考えられることもあるのです。この場合は一心不乱に何かに取り組んでいることを周囲が良く思っていないということになります。これは例えば、取り組んでいるものがゲームや趣味であったりすればわかりやすくなります。子どもが一心不乱にゲームをしていれば、それはとても褒められたものではないでしょう。
しかし、この四字熟語は悪い意味でも使用することがあります。本来の意味ではなりませんが、何かに没頭しているために周りが見えていない、と考えられることもあるのです。この場合は一心不乱に何かに取り組んでいることを周囲が良く思っていないということになります。これは例えば、取り組んでいるものがゲームや趣味であったりすればわかりやすくなります。子どもが一心不乱にゲームをしていれば、それはとても褒められたものではないでしょう。
似た意味のことわざ
「一意専心」「無我夢中」などが似た意味で使用されています。どれも何か一つのことに没頭している様子を示しています。
使用法、使用例
「あいつ最近見ないな。何をしているんだろう?おまえ知ってるか」
「ああ、あいつなら最近一心不乱に研究にとりかかってるよ。もうすぐ完成するらしいんだ」
「ああ、あいつなら最近一心不乱に研究にとりかかってるよ。もうすぐ完成するらしいんだ」