羹に懲りて膾を吹くの意味・使い方
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意味
前の失敗に懲りて異常なほど用心深くなること。
由来
「羹」とは野菜や肉などを入れて作る熱い吸い物のことです。「膾」とは生肉の刺身のことですが、現在では酢などで味付けをした冷たい和え物のことを指します。
これは古代中国の春秋戦国時代の楚の国の詩を集めて全17巻にも及ぶ詩集となった「楚辞」の第九章の惜誦編に納められている「屈原」の詩にあります。
それは「懲於羹而吹韲兮、何不變此志也」というもので、羹を食べたことで口を火傷したものが、それに懲りてそれから膾のような冷たい料理も息を吹きかけて冷ましてから食べようとするようになったというものです。
これは古代中国の春秋戦国時代の楚の国の詩を集めて全17巻にも及ぶ詩集となった「楚辞」の第九章の惜誦編に納められている「屈原」の詩にあります。
それは「懲於羹而吹韲兮、何不變此志也」というもので、羹を食べたことで口を火傷したものが、それに懲りてそれから膾のような冷たい料理も息を吹きかけて冷ましてから食べようとするようになったというものです。
屈原とは
戦国時代の楚の国の政治家であり、詩人でもあった人物です。
たびたび秦を信用してはいけないと進言しますが楚の王はその進言を聞かず、戦には大敗し、しかもその後に騙されて秦に捕らえられます。屈原はその後、左遷された上に楚の国が秦に攻め込まれると将来に絶望して入水自殺しました。
屈原の強烈な愛国心を捧げた詩が楚辞には残されており、後世の憂国者たちからは模範であるとされました。
たびたび秦を信用してはいけないと進言しますが楚の王はその進言を聞かず、戦には大敗し、しかもその後に騙されて秦に捕らえられます。屈原はその後、左遷された上に楚の国が秦に攻め込まれると将来に絶望して入水自殺しました。
屈原の強烈な愛国心を捧げた詩が楚辞には残されており、後世の憂国者たちからは模範であるとされました。
意味の変遷
現在このことわざを使用する際は「それほど用心深くなる必要はないのに」と相手を侮蔑する意味合いが入ります。これは適度に用心深いのではなく、必要以上に用心深くしている行為について「臆病者」と見なされる要素があるからです。その意味では「転ばぬ先の杖」や「石橋を叩いて渡る」などの用心深くするという意味のことわざよりもさらに上をいく用心深さであると言えます。
このことわざが成立するには「一度何かしらの痛い目を見る」ことが前提となっており、それがきっかけで「必要以上に怖れるようになる」ということが条件となります。
英語表現では、
The burnt child dreads the fire.
(やけどをした子供は火を怖がる)
He that has been bitten by a serpent is afraid of a rope.
(蛇に噛まれた者は縄を怖がる)
A scalded cat fears cold water.
(煮え湯でやけどをした猫は冷水を恐れる)
というものがあり、どれも何かがきっかけとなって必要以上に怖れることになったということを示しています。
このことわざが成立するには「一度何かしらの痛い目を見る」ことが前提となっており、それがきっかけで「必要以上に怖れるようになる」ということが条件となります。
英語表現では、
The burnt child dreads the fire.
(やけどをした子供は火を怖がる)
He that has been bitten by a serpent is afraid of a rope.
(蛇に噛まれた者は縄を怖がる)
A scalded cat fears cold water.
(煮え湯でやけどをした猫は冷水を恐れる)
というものがあり、どれも何かがきっかけとなって必要以上に怖れることになったということを示しています。
似た意味のことわざ
「黒犬に噛まれて赤犬に怖じる」・・・黒い犬に噛まれたのにそれから赤い犬にまで怖れるようになったというものです。
使用法、使用例
「はあ、また女の人に振られるのが怖くて、近寄ることすらできないよ」
「それは羹に懲りて膾を吹くじゃないか、そんな様子でどうやって生活していくんだよ」
「それは羹に懲りて膾を吹くじゃないか、そんな様子でどうやって生活していくんだよ」