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【天才棋士 羽生善治】子どもの頃のあだ名が「恐怖の赤ヘル」!?当時の画像も

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羽生善治さんと言えば、将棋界で最も有名と言ってもいい棋士です。

その強さは史上最強ではないかとも言われ、これまでに数々の名勝負を繰り広げてきました。

そんな羽生善治さんですが、天才の中の天才というだけあっておもしろいエピソードがたくさんあるのをご存知でしょうか。

今回は羽生善治さんの伝説の仰天エピソードをまとめてみました。

圧倒的な成績

将棋ファンにとっては当たり前のようになっていて感覚がマヒしそうですが、はっきり言って羽生善治さんの成績は異常です。圧倒的なのです。

通算で1340勝を超えて、タイトルは2016年5月の時点で94期の獲得で勝率は7割を超えています。96年2月は前人未到の七冠王も達成しました。

これがどれだけ圧倒的なのか他の強豪棋士との比較で見てみましょう。

まず通算勝数ですが、同年代の佐藤康光さんは980勝、森内俊之さんは880勝程度です。また、年上である谷川浩司さんは1250勝程度、羽生善治さんが生まれる前から棋士をしている加藤一二三さんが羽生さんと同じくらいで1320勝。

この数字を見ると圧倒的なことがわかります。ここで名前を挙げた方々は将棋界を代表する一流棋士です。その方々と比較しても、その突出度はものすごいものになります。

次にタイトルの獲得数ですが、歴代1位は羽生善治さんの94期、2位は故・大山康晴15世永世名人80期、3位は中原誠さん64期、4位は谷川浩司さん27期です。

昭和の大名人であった大山康晴15世永世名人の80期を大きく更新して通算100期は目前です。昔に比べてタイトル戦が増えたとはいえ、この成績は圧倒的です。

現役の棋士で考えた時に、羽生善治さんの次が谷川浩司さんの27期であることを見ても、そのすごさがわかります。

最後に勝率ですが、佐藤康光さん、森内俊之さんが6割2分程度、渡辺明さんが6割6分程度に対し、羽生善治さんは7割1分程度で、1割近く多く勝っています。

羽生善治さんは若くしてタイトルを獲得し、ずっと将棋界のトップにいました。よって、それだけ一流の棋士と対局する機会が多いのです。それにも関わらず7割という数字を残しているのです。

将棋を指したことがある人はわかると思うのですが、相手に7割勝つというのはそこそこの力の差がないと難しいです。羽生善治さんはそれだけの力があるんですね。恐ろしいですね。

その強さは「羽生善治さんはずるい、なぜなら羽生善治さんと対局しなくて済むからだ」というジョークが生まれるくらいです。

チェスも強い

羽生善治さんは将棋だけではありません。チェスも強く、日本で一、二を争うほどの強さなんです。

チェスの指導を受けて、短期間であっという間に強豪になってしまうあたり、さすがと言わざるをえません。

タイトル戦の合間に海外に出かけることもしばしばです。

時々海外のトップクラスのプレーヤーとイベントで対局することもあります。

バシエラグラーブという世界で29位だったプレーヤーとなんと将棋とチェスを同時に指すという実にユニークな対局を経験したこともあります。

チェスの世界トップクラスの人とそういったことをできるなんてすごいですね。

現代将棋はとても複雑で、研究を怠るとあっという間に取り残されると言われています。そんな中、趣味でチェスをして日本トップクラスになるんだから驚きです。

数独は手の運動!?

現在も続けているかはわかりませんが、羽生善治さんは数独というパズルのようなものをしていた時期があるそうです。

数字が並ぶ問題なので、きっとこのエピソードを見た人は、将棋が強いだけあって、そういったパズルが好きなのだろう、将棋とはまた違った頭の運動に使っているのだろうと思うかもしれません。

でもそうじゃないんです。羽生善治さんにとって数独は手の運動なんだそうです。

答えがあっという間にわかるそうで、確かにそれなら頭の運動とは思わないでしょうね。

一般人の感覚では立派な頭の運動だと思うのですが、羽生善治さんにとってはそうではないようです。

大会をすっぽかしたことがある

羽生善治さんもやっぱり人の子。子供の頃に大会をすっぽかしたことがあるそうです。

3人でチームを組む大会があり、大会で勝ちたかったとある人は、当時アマチュアでもその強さを発揮していた子供時代の羽生善治さんをチームに入れたのでした。

羽生君がいるなら…と安心していたのに、なんと当日羽生善治さんは現れませんでした。

大会に来なかった理由は、なんでも大会のことを忘れていて旅行に出かけていたとのこと。

きっと旅行がうれしくて大会のことをうっかり忘れてしまったんでしょうね。

こどもらしいほほえましいエピソードですね。

もっとも、大会をすっぽかされた人にとってはたまったものではないでしょうが…。

恐怖の赤ヘル

羽生善治さんは子供の頃、大会でプロ野球の広島の帽子をよく被っていたそうです。

そこからついた呼び名が「恐怖の赤ヘル」。まるで都市伝説の生き物のような扱いです。

小さな少年が鋭い手をばしばし放つのですから、その目立つ赤い帽子は確かに恐怖だったかもしれません。

まとめ

いかがでしたか。少しでも羽生善治さんの魅力を感じていただけたら幸いです。これからもきっと長く活躍していく羽生善治さんに注目していきたいですね。
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