光の速さを超えてゆけ。現日本将棋連盟会長谷川浩司の伝説エピソード
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谷川浩司(たにがわこうじ)
プロフィール
1962年4月6日生まれ
兵庫県神戸市須磨区出身
師匠 若松政和七段
永世称号 十七世名人
谷川浩司棋士といえば、対局の終盤力がプロ棋士間でもズパ抜けており、「光速の寄せ」といわれていました。 1つ下の世代である羽生善治棋士とはライバル関係にあり、タイトル戦では数々の名勝負を見せてくれました。
現在は日本将棋連盟の会長職に就き、将棋の普及や後進の育成に力を入れておられます。
この記事では、そんな谷川浩司棋士の伝説エピソードを紹介していきたいと思います。
プロフィール
1962年4月6日生まれ
兵庫県神戸市須磨区出身
師匠 若松政和七段
永世称号 十七世名人
谷川浩司棋士といえば、対局の終盤力がプロ棋士間でもズパ抜けており、「光速の寄せ」といわれていました。 1つ下の世代である羽生善治棋士とはライバル関係にあり、タイトル戦では数々の名勝負を見せてくれました。
現在は日本将棋連盟の会長職に就き、将棋の普及や後進の育成に力を入れておられます。
この記事では、そんな谷川浩司棋士の伝説エピソードを紹介していきたいと思います。
史上最年少名人
谷川浩司棋士は、中学生でプロ棋士になったいわゆる中学生棋士のひとりです。
当時は加藤一二三棋士に続いて史上二人目の中学生棋士誕生ということで、世間の注目を集めました。
プロ棋士デビュー直後は不慣れな将棋界の習わしや雑務に追われて足踏みしましたが、翌年以降は実力を発揮し、順位戦でなんと4期連続で昇級をして一気にA級まで到達しました。
順位戦のA級といえば、将棋界で最も強い10人が総当り戦を行い、名人位への挑戦権を争うリーグ戦です。
下位2人はB級1組と入れ替えということもあり、まさに死のリーグ戦です。 そんな熾烈なA級順位戦でも谷川浩司棋士は勝利を重ねました。 第41期名人戦において7勝2敗の成績を収め、さらに中原誠棋士とのプレーオフを制して名人挑戦権を得ることができたのです。
その勢いのまま名人戦へ突入し、4勝2敗で加藤一二三棋士から名人位を奪取しました。 当時谷川浩司棋士はまだ21歳、世間の若者であればまだ大学に通っているような年齢です。 そんな若造が将棋界のベテランを次々と打ち破り史上最年少での名人位を獲得したのです。
名人位といえば将棋のタイトル戦の中でも最高峰に位置しており、たった21歳の若手棋士が奪取したということで当時話題になりました。 ベテラン連中からすればポッと出のまだ無名の棋士に最高峰のタイトルを奪われたのですからおもしろくありません。
ですが、名人位を祝うパーティーでの谷川浩司棋士の言葉がそんなベテラン棋士の反発を一気に打ち消すことになりました。
その一言とは
「1年間、名人位を預からせていただきます」
という言葉でした。
自分の将棋の実力や人間としての器はまだまだ名人位にはふさわしくない、たまたま運よく手にすることができた名人位を1年間預かるだけだというとても謙虚なスピーチでした。
プロ棋士デビュー直後は不慣れな将棋界の習わしや雑務に追われて足踏みしましたが、翌年以降は実力を発揮し、順位戦でなんと4期連続で昇級をして一気にA級まで到達しました。
順位戦のA級といえば、将棋界で最も強い10人が総当り戦を行い、名人位への挑戦権を争うリーグ戦です。
下位2人はB級1組と入れ替えということもあり、まさに死のリーグ戦です。 そんな熾烈なA級順位戦でも谷川浩司棋士は勝利を重ねました。 第41期名人戦において7勝2敗の成績を収め、さらに中原誠棋士とのプレーオフを制して名人挑戦権を得ることができたのです。
その勢いのまま名人戦へ突入し、4勝2敗で加藤一二三棋士から名人位を奪取しました。 当時谷川浩司棋士はまだ21歳、世間の若者であればまだ大学に通っているような年齢です。 そんな若造が将棋界のベテランを次々と打ち破り史上最年少での名人位を獲得したのです。
名人位といえば将棋のタイトル戦の中でも最高峰に位置しており、たった21歳の若手棋士が奪取したということで当時話題になりました。 ベテラン連中からすればポッと出のまだ無名の棋士に最高峰のタイトルを奪われたのですからおもしろくありません。
ですが、名人位を祝うパーティーでの谷川浩司棋士の言葉がそんなベテラン棋士の反発を一気に打ち消すことになりました。
その一言とは
「1年間、名人位を預からせていただきます」
という言葉でした。
自分の将棋の実力や人間としての器はまだまだ名人位にはふさわしくない、たまたま運よく手にすることができた名人位を1年間預かるだけだというとても謙虚なスピーチでした。
羽生善治棋士との死闘
谷川浩司棋士のライバルといえば羽生善治棋士です。
80年代90年代はこの二人がタイトル戦でタイトルを争うことが多く、自他共に認めるライバル関係でした。
そんな二人の対局の中でも特に有名なのが、1995年第44期王将戦です。 先に4勝したほうが勝者となる7番勝負、お互い譲らずに3勝ずつ勝利を重ね、勝負は第7局までもつれこみました。
なぜこの対局が有名なのかというと、この対局が史上初の7冠がかかっていたからです。 挑戦者の羽生は7大タイトル戦のうち王将位以外はすべて奪取して、7冠に向けて残すは谷川の持つ王将位のみとなっていました。 当時のマスコミの注目度は高く、対局場所である青森のホテルには150名を超える報道陣が集まって勝負の行く末を見守っていたそうです。
マスコミはもちろん、将棋ファンや将棋連盟関係者すべてが史上初の7冠を期待している状況。 そんな状況の中で対局しなければならなかった谷川浩司棋士の心中は計り知れないものがあります。
そんなプレッシャーに見事打ち勝ち、谷川浩司棋士は見事王将位を死守しました。 7冠を期待して集まったマスコミや将棋ファンからは、史上初の7冠が見れなくて落胆する声が出る一方谷川浩司棋士への賞賛の声も多く聞かれました。
そんな二人の対局の中でも特に有名なのが、1995年第44期王将戦です。 先に4勝したほうが勝者となる7番勝負、お互い譲らずに3勝ずつ勝利を重ね、勝負は第7局までもつれこみました。
なぜこの対局が有名なのかというと、この対局が史上初の7冠がかかっていたからです。 挑戦者の羽生は7大タイトル戦のうち王将位以外はすべて奪取して、7冠に向けて残すは谷川の持つ王将位のみとなっていました。 当時のマスコミの注目度は高く、対局場所である青森のホテルには150名を超える報道陣が集まって勝負の行く末を見守っていたそうです。
マスコミはもちろん、将棋ファンや将棋連盟関係者すべてが史上初の7冠を期待している状況。 そんな状況の中で対局しなければならなかった谷川浩司棋士の心中は計り知れないものがあります。
そんなプレッシャーに見事打ち勝ち、谷川浩司棋士は見事王将位を死守しました。 7冠を期待して集まったマスコミや将棋ファンからは、史上初の7冠が見れなくて落胆する声が出る一方谷川浩司棋士への賞賛の声も多く聞かれました。
好きな言葉は「飛翔」
プロ棋士は自身の著書や扇子などにサインを求められることがあります。
名前を書くだけでなく、一言添えるのが将棋界の通例になっていて、羽生善治棋士であれば「玲瓏」、渡辺明棋士であれば「志高」といった言葉が有名です。
谷川浩司棋士の場合は「飛翔」という言葉を好んで書くそうです。 なぜこの言葉が好きなのかについては自身の著書で説明しています。
この「飛翔」という言葉からは、自由自在に美しく飛ぶイメージ、美しい姿へのイメージが連想されるので、自分の棋譜も自由で美しいものにしたいという思いを込めて「飛翔」とサインしているそうです。
他にも、
・春風駘蕩(春風がのどかに吹く様子。)
・竜驤虎視(竜のようにのぼり虎のように視る意から、志気・威勢が盛んでひときわすぐれて見えるさま。)
・自我作古(われよりいにしえをなす。前例にとらわれず、手本になるようなことを自分から作り出す、という意味。)
といった言葉をサインすることが多いそうです。
現在は日本将棋連盟の会長として裏方業務に軸足を移しつつある谷川浩司棋士。
対局以外の部分で忙しいとは思いますが、また昔のような切れ味のするどい寄せを見せてほしいものですね!
谷川浩司棋士の場合は「飛翔」という言葉を好んで書くそうです。 なぜこの言葉が好きなのかについては自身の著書で説明しています。
この「飛翔」という言葉からは、自由自在に美しく飛ぶイメージ、美しい姿へのイメージが連想されるので、自分の棋譜も自由で美しいものにしたいという思いを込めて「飛翔」とサインしているそうです。
他にも、
・春風駘蕩(春風がのどかに吹く様子。)
・竜驤虎視(竜のようにのぼり虎のように視る意から、志気・威勢が盛んでひときわすぐれて見えるさま。)
・自我作古(われよりいにしえをなす。前例にとらわれず、手本になるようなことを自分から作り出す、という意味。)
といった言葉をサインすることが多いそうです。
現在は日本将棋連盟の会長として裏方業務に軸足を移しつつある谷川浩司棋士。
対局以外の部分で忙しいとは思いますが、また昔のような切れ味のするどい寄せを見せてほしいものですね!
羽生世代の憧れ
谷川浩司九段は17世永世名人の資格を持つ名棋士です。
輝かしい実績の持ち主で、あの有名な羽生世代も子供の頃に憧れた棋士なのです。
将棋ファンならその名前を知らないのではないかというくらいの棋士で、一般に対する知名度も、年配の方にならあるのではないかと思われます。
今回はこの谷川浩司九段にスポットを当ててみたいと思います。
輝かしい実績の持ち主で、あの有名な羽生世代も子供の頃に憧れた棋士なのです。
将棋ファンならその名前を知らないのではないかというくらいの棋士で、一般に対する知名度も、年配の方にならあるのではないかと思われます。
今回はこの谷川浩司九段にスポットを当ててみたいと思います。
光速の寄せ
谷川浩司九段の将棋の特徴とは何かと聞かれたら、やはり光速の寄せだと思います。
その鋭い寄せのスピード、早く終盤になってくれればいいのにと思う終盤への思いが、とてつもない手を生み出します。 若手時代は横歩取り4五角戦法を用いて、なんとプロ棋士相手に36手で投了に追い込んだということもやってのけたのです。 ただ勝つだけでなく、たった36手という短手数で勝つのだから、とても驚きますよね。 この横歩取りの戦法は当時の子供達も真似をして、自分も谷川九段のように鋭い攻めをしたいと思わせたのでした。
谷川浩司九段は光速の寄せというタイトルも出版しており、終盤に対する厳しい考え方と深い読みを披露しています。 ちなみにこの光速の寄せという本は名著と名高いもので、終盤の感覚を磨きたい有段者は絶対に一度は読むべきだと思います。 谷川九段は光速の寄せと言われただけあって終盤の良い本を他にも出していますので、興味がある方は検索してみることをおすすめします。
また、終盤といえば詰将棋を連想する人もいると思います。 谷川浩司九段も詰将棋には深い関わりがあり、多くの作品を世に出しています。 2011年には詰将棋図式集の月下推敲を出版しました。
その鋭い寄せのスピード、早く終盤になってくれればいいのにと思う終盤への思いが、とてつもない手を生み出します。 若手時代は横歩取り4五角戦法を用いて、なんとプロ棋士相手に36手で投了に追い込んだということもやってのけたのです。 ただ勝つだけでなく、たった36手という短手数で勝つのだから、とても驚きますよね。 この横歩取りの戦法は当時の子供達も真似をして、自分も谷川九段のように鋭い攻めをしたいと思わせたのでした。
谷川浩司九段は光速の寄せというタイトルも出版しており、終盤に対する厳しい考え方と深い読みを披露しています。 ちなみにこの光速の寄せという本は名著と名高いもので、終盤の感覚を磨きたい有段者は絶対に一度は読むべきだと思います。 谷川九段は光速の寄せと言われただけあって終盤の良い本を他にも出していますので、興味がある方は検索してみることをおすすめします。
また、終盤といえば詰将棋を連想する人もいると思います。 谷川浩司九段も詰将棋には深い関わりがあり、多くの作品を世に出しています。 2011年には詰将棋図式集の月下推敲を出版しました。
最年少名人
谷川浩司九段は子供時代からとても強く、なんと中学生でプロ棋士になってしまうんです。
それだけでもものすごいことなのですが、プロ入り後もその強さは発揮され、21歳の時に史上最年少で名人の座についてしまいます。
当時は大騒ぎになり、その影響で谷川浩司九段の名前を知ったという一般の方もたくさんいます。
さて、中学生プロとなり、光速の寄せで一世を風靡し、順風満帆のようですが、そううまくいかないのが人生です。 羽生世代の登場です。
それだけでもものすごいことなのですが、プロ入り後もその強さは発揮され、21歳の時に史上最年少で名人の座についてしまいます。
当時は大騒ぎになり、その影響で谷川浩司九段の名前を知ったという一般の方もたくさんいます。
さて、中学生プロとなり、光速の寄せで一世を風靡し、順風満帆のようですが、そううまくいかないのが人生です。 羽生世代の登場です。
上下の世代の板ばさみにあいながらも奮闘
谷川九段の上の世代には中原誠16世永世名人や米長邦雄永世棋聖、加藤一二三九段などに代表される強豪がおり、下の世代にはあの有名な羽生世代がいます。
羽生世代とは言わずとしれた強豪ぞろいの世代で、羽生名人を筆頭として、森内俊之九段、佐藤康光九段、丸山忠久九段、藤井猛九段、郷田真隆らに代表される、とんでもない世代です。
名人経験者、竜王経験者がぞろぞろいるこの世代と戦いながらも谷川九段は奮闘します。
羽生名人より先に、名人を五期獲得することで得られる永世名人の資格をとり、多くの名局を生み出しました。 羽生名人の七冠王達成を一度阻むなどの活躍も見せましたが、結局は別の年に破れ七冠王を許してしまうという屈辱も味わいました。 それでもタイトル獲得数は27期と歴代4位の記録を持っています。 上下の世代の強豪と戦いながらのこの数字はすさまじいものであると思います。
羽生名人より先に、名人を五期獲得することで得られる永世名人の資格をとり、多くの名局を生み出しました。 羽生名人の七冠王達成を一度阻むなどの活躍も見せましたが、結局は別の年に破れ七冠王を許してしまうという屈辱も味わいました。 それでもタイトル獲得数は27期と歴代4位の記録を持っています。 上下の世代の強豪と戦いながらのこの数字はすさまじいものであると思います。
人格者として
谷川浩司九段はただ将棋が強いだけではありません。
人格者として知られています。
谷川浩司九段のエピソードしてその人柄が出ているのが、自然災害の被害にあった人へのメッセージとして、「頑張りすぎないでください」という言葉を送ったことです。
そういった被害にあった人には普通頑張れというメッセージを送りたくなるものです。
ところが谷川九段はがんばりすぎないでくださいと言います。 その理由は、そういった被害にあった人は既に充分頑張っている、だから頑張れと言わないようです。 自然災害にあうと頑張ろう頑張ろうとしてしまい、精神が参ってしまう人も多いです。 谷川浩司九段はそういった心情を想像して、くみ取って、頑張りすぎないでくださいと言うのです。 このエピソードだけで人柄がうかがえますよね。
他には、谷川浩司九段の珍しい言葉として「替えのスラックスを持っていきます」というものがあります。 この言葉は泊りがけの講演会の際に出た言葉で、帰り道によれよれのスーツにならないようにそのようなことを言ったそうです。 棋士の代表として、人から見られているということを意識している谷川浩司九段らしい、いい言葉だと思いますね。 一人の大人としての品格を感じ取ることができて、とても尊敬することができます。
いかがでしたか。
谷川浩司九段はさすがに昔の様にタイトル戦に出場とはいきませんが、今でも懸命に将棋の対局を続けています。
中学生プロから最年少名人、そして羽生世代との激闘と、光速の寄せを武器に、数々の名局を生み出してきた、とても素晴らしい棋士です。
谷川将棋にはロマンがあると言う人もいます。 すごく魅力にあふれていますね。 昭和から平成にかけての将棋界における大棋士ですね。 これからもその人格者ぶりを発揮して、将棋界の発展に貢献するに違いないと思います。
谷川浩司九段のこれからの活躍をお祈りいたします。
人格者として知られています。
谷川浩司九段のエピソードしてその人柄が出ているのが、自然災害の被害にあった人へのメッセージとして、「頑張りすぎないでください」という言葉を送ったことです。
そういった被害にあった人には普通頑張れというメッセージを送りたくなるものです。
ところが谷川九段はがんばりすぎないでくださいと言います。 その理由は、そういった被害にあった人は既に充分頑張っている、だから頑張れと言わないようです。 自然災害にあうと頑張ろう頑張ろうとしてしまい、精神が参ってしまう人も多いです。 谷川浩司九段はそういった心情を想像して、くみ取って、頑張りすぎないでくださいと言うのです。 このエピソードだけで人柄がうかがえますよね。
他には、谷川浩司九段の珍しい言葉として「替えのスラックスを持っていきます」というものがあります。 この言葉は泊りがけの講演会の際に出た言葉で、帰り道によれよれのスーツにならないようにそのようなことを言ったそうです。 棋士の代表として、人から見られているということを意識している谷川浩司九段らしい、いい言葉だと思いますね。 一人の大人としての品格を感じ取ることができて、とても尊敬することができます。
いかがでしたか。
谷川浩司九段はさすがに昔の様にタイトル戦に出場とはいきませんが、今でも懸命に将棋の対局を続けています。
中学生プロから最年少名人、そして羽生世代との激闘と、光速の寄せを武器に、数々の名局を生み出してきた、とても素晴らしい棋士です。
谷川将棋にはロマンがあると言う人もいます。 すごく魅力にあふれていますね。 昭和から平成にかけての将棋界における大棋士ですね。 これからもその人格者ぶりを発揮して、将棋界の発展に貢献するに違いないと思います。
谷川浩司九段のこれからの活躍をお祈りいたします。