将棋

「なんだこの手は?」光速の寄せ!日本将棋連盟会長・谷川浩司の伝説エピソード

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谷川浩司(たにがわこうじ)

プロフィール
1962年4月6日生まれ
兵庫県神戸市須磨区出身
師匠 若松政和七段
永世称号 十七世名人

1976年、当時まだ中学生だった谷川浩司は加藤一二三に次いで至上二人目の中学生プロ棋士として話題になりました。
10代のころからメキメキと頭角を現し、1983年には初のタイトルである名人を獲得。その後も次々とタイトルを獲得し1991年には将棋界にある7つのタイトルのうち4つを独占し四冠を達成しました。

少し下の世代にいわゆる羽生世代の棋士たちがいて、タイトル戦ではそういった若い棋士たちの挑戦を受けるという立場が続きました。
特に羽生善治棋士本人との対戦はマスコミ・ファンからの注目度も高く、将棋界のゴールデンカードとして多くの人たちが魅了されました。

この記事では谷川浩司棋士の伝説やおもしろエピソードを紹介していきたいと思います。
是非読んでみてください。

1 光速の寄せ!

谷川浩司棋士といえばなんといっても光速の寄せです。
将棋ファンの間ではもはや常識で、名前をド忘れしてしまったときに「あの光速の寄せの人って名前なんだったっけ?」と聞けばすぐに谷川浩司棋士のことだと返ってきます。

なせこの呼び名がついたかというと、対局の終盤、寄せの場面で飛びぬけた能力を持っていたからです。
残り時間も少なくなって、詰むや詰まざるやの緊迫した状況。
普通の棋士なら焦って詰みを見逃したり、逆に詰まない状況で詰ませにいって大逆転されてしまったりということがよく起こります。

ですが、谷川浩司棋士の場合はそんなことはまずありえませんでした。
どれだけ残り時間が少なくても、どれだけ複雑な状況でも、詰みが存在すれば絶対に見逃しませんでした。

場合によっては30手を超えるような詰み手順でも簡単に発見して詰ませてしまう。そんなことを何度も繰り返しているうちに、光よりも早く詰ませてしまうという意味で「光速の寄せ」と呼ばれるようになりました。

また、自分の玉が詰まないことを見切って相手の陣地に攻め込む場面も多く見られました。
相手からすれば谷川浩司棋士が守りを固めるだろうと考えていた場面で、こちらの攻撃を無視して逆に攻め込んでこられるのです。

相手の攻撃の際に立ち止まったり下がったりするのではなく、逆に相手のほうに踏み込んでぎりぎり皮の一枚で避け、糸をたぐるような細い攻めを繋いで最後には相手の玉を詰ます。
そういった対局が多かったので、プロ棋士の間では「切れ味が尋常ではない日本刀のような将棋」と言われていたそうです。

将棋ファンだけではなく、プロ棋士の間でもそう評価されていたことからも谷川浩司棋士がどれだけすごかったのか分かっていただけると思います。

2 まさかの角不成り!?

第24期王位戦リーグ白組5回戦
谷川浩司対大山康晴

事件はその対局で起こりました。
盤面はすでに終盤戦、お互い相手の陣地に攻め入っていてパッと見る限り形勢は互角。
どちらか先にミスをしたほうが負けるという緊迫した状況でした。

手番は残り時間わずかの谷川浩司棋士、解説役の棋士は「うーん 時間もないですし詰むかどうか分かりませんから自玉の安全を固めますでしょうね」と言っていました。

ところが谷川浩司棋士はその場面で、自分の攻め駒である角将を動かして相手の玉に王手をかけたのです。
しかも、角が成れる状況なのにもかかわらずあえて不成りで王手をかけたのです。

その状況を見て、報道陣が集まっている控え室では大騒ぎになりました。
なぜなら、普通将棋の対局で駒が成れる状況で成らないということはまずありえないからです。
礼儀作法を重んじるプロの世界で、しかもれっきとした公式対局で不成りをしたプロ棋士はおそらく至上初だったのではないでしょうか。

ですが、その不成りには実はちゃんとした理由があったのです。
もし角を成ってしまうとその十数手後に持ち駒の歩を打って相手の玉を詰ますことになり、それは「打ち歩詰め」と呼ばれ、将棋のルールで禁止されています。
逆にあえて角を成らないと、歩を打つことなく相手玉を詰ませることができるという状況だったのです。

最初はなぜ不成りだったのか分からなかった解説のプロ棋士や報道陣もそのことに気づいてとても驚いたそうです。
十数手後の状況を読みきった上であえて不成りを選択。
谷川浩司棋士の伝説がまた1つ増えた日の出来事でした。

3 歴史的妙手7七桂馬!?

第9回竜王戦七番勝負第二局
羽生善治竜王(当時)対谷川浩司九段

こちらも谷川浩司棋士の伝説として必ず紹介される対局です。

終盤の局面、解説陣の間では谷川浩司棋士が劣勢と言われていた場面でした。 次に指す手がなかなか見つからない、そんな状況で谷川浩司棋士が指した1手は7七桂馬でした。

相手の守り駒の金、桂馬がきいているところに桂馬を打ち込んだのです。
一見するとタダで相手に駒を渡す手にしか見えません。
当時解説をしていた島朗九段も「なんだこの手は?」が第一声でした。

プロ棋士ですら理解できない一手、素人の将棋ファンには手の意味が分かるはずもありません。
TV中継で一番印象に残っているシーンはこのときだという将棋ファンの声はよく聞かれます。

しばらくすると手の意味がだんだん分かってきた島朗九段は手の解説を始めました。
「一見するとタダの駒なんだけど取っても取らなくても羽生竜王が劣勢になる。すごい手だ!」

詳しい解説は控えますが、単に相手の陣に打ち込んだタダの桂馬が実はとても深い意味を持っていたのです。
島朗九段の解説どおりその手を境に劣勢だった谷川浩司が一気に形勢逆転し、その対局に勝利することになりました。

相手の守り駒が密集しているスペースにタダの桂馬を打ち込んで形勢を逆転。
歴史的な妙手が生まれた瞬間でした。

谷川浩司の伝説エピソードを紹介してきましたがいかがだったでしょうか。
現在では対局の第一線からは退いて将棋連盟の会長として将棋の普及に取り組んでいるそうです。
対局が見られなくなったのは残念ですが、これからも頑張ってほしいですね!
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