日本史

蘇我氏は本当に悪者だった?大化の改新の意図を探る

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日本史の教科書をパラパラ捲っている時、日本人なら誰でも一瞬思ったことがあるのではないでしょうか。
「蘇我馬子って名前、どうなの?」と。

蘇我馬子にショックを受けた次の瞬間には「入鹿」が控えていて、再度受ける衝撃は未だに消えません。

その強烈な字面のおかげで、「大化の改新で討たれたコンビの名前だけは得意」という人、多いのではないでしょうか。

馬つながりで言えば、「厩戸大王(聖徳太子)」の名前も思い浮かぶのですが、「厩戸」と「馬子」の字面を比較すると、蘇我氏の負け感は悲しくなるほどです。

どう贔屓目に見ても好感度高いとは言えないこの名前の由来は、いったいどこから来たのでしょう?

厩戸大王と馬子。
『隋書』倭国伝に登場する倭王の名を「アメノタリシヒコ」というのですが、古代朝鮮語に直すと、「タリ(タラ)」という読みに「足」や「甘」「豊」という漢字を使っていたそうです。さらにその「甘」は古代日本語でいうと「ウマシ」と読んでいたそうですから、「馬子」とは「甘子」が変化したもので、さらに「甘ヤド大王」だったのかも知れません。(参考:石渡信一郎「蘇我王朝と天武天皇」)
「甘彦がいろいろあって馬子になったのですよ」
しかし、ここまで説明されてもなお、あえて馬の字が使われていて、息子は鹿の字が使われてしまった悲しすぎる親子が存在していいものでしょうか?

大化の改新以前、蘇我氏はどんな様子だった?

私たちが学校で習った「大化の改新」を改めておさらいしましょう。

中国大陸にて王朝が変わりました。隋から唐への王朝の名前が変わっただけではなく、それは皇帝を中心とした強力な中央集権システムを搭載した国家で、日本を含む東アジアのそれまでの「中央と地方がバラバラでも、なんとなくまとまっていれば、まぁいいか」といった行き当たりばったりな国家運営方法では太刀打ちできようもない、皇帝と側近による高度な政策がホットラインで地方の最前線まで行き渡るスタイルでした。

唐の武器は、律令でした。

その律令によって団結した武力が、周辺諸国をみるみるうちに脅かしていく様子を見ていた日本の朝廷の一部が、日本古来の豪族による「財産と土地を勝手に世襲制」を排し、唐の最先端統治システム「律令」を取り入れて天皇中心の強力な集権国家を作り上げようと画策します。

日本には天皇を意のままに操るほどの権力をもっていた「蘇我一族」が政界に君臨していました。

645年、中大兄皇子と中臣鎌足はクーデターを起こし、蘇我蝦夷と子の入鹿を討ち、旧き政体を排除して「大化の改新」と言われる政権交代に成功しました。

土地と民の公地公民制、律令の及ぶ地方統治システム改革、班田収授法、戸籍、新税制など、唐を参考にした「改新の詔」を発布したのです。

それまでは「天皇家の良き友であり時に良きライバル」という、日本チームのキャプテンが天皇でチームメイトが豪族たち、のような関係だったのを、何ランクも劣る「臣下」に据え、逆らうことを許さないトップダウンの統治システムを構築しました。

この政策にもっとも強い抵抗勢力となるであろう蘇我一族を、事前に討ち取っていたため、時間はかかったものの、「大宝律令」にてこの大改革は成功を収めたことになります。

日本書紀は誰が書かせた?

「歴史は勝者が作るもの」との言葉がありますが、『日本書紀』と『古事記』はまさにそれで、天皇家の持つ権力の正当性を立証するため、その視点ありきの過去を編纂したものとされています。

中でも「大化の改新」という事件は、同レベルの豪族たちが起こした権力闘争を決着付けるためのクーデターというレベルではなく、神代から持統天皇の治世を貫く権力の正当性を決定づける『日本書紀』のクライマックスでもあるわけですから、当時の天皇家の権力を阻害する豪族筆頭であった蘇我氏を貶め、後の天皇中心の律令国家形成のために排除しなければならなかった人物と印象付ける意図が働いていたのかも知れません。

蘇我氏は「良い人」集団だったかも?

蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳(奈良県高市郡明日香村)を見ると、その大きさから彼が持つ権力の質が伝わって来ます。

さらに、蘇我氏の氏寺かつ日本最古の寺である飛鳥寺(奈良県高市郡明日香村)に足を運び、飛鳥大仏に参拝することもおすすめです。

彼は聖徳太子の側近であり良き理解者として、豪族同士がぶつかり合って国も民も疲弊する日本に仏教を植えようとしました。

蘇我氏は熱心に仏教を保護し、自らの宮殿にも仏殿を作ることで、ライフスタイルへの仏教の取り込み方を軽やかに伝える知識とリーダーシップに富むトレンドリーダーだったのかも知れません。

推古天皇と聖徳太子という、日本史の登場人物でも抜きに出て好印象な二人の側で働いた蘇我馬子、そして彼の一族を、大化の改新でのイメージダウンにとらわれることなく偲んでみてはいかがでしょうか。
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