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アメリカの「自由の女神像」歴史となぜあの色なの?

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アメリカ合衆国の象徴とも言える自由の女神像は、年間350万人以上の観光客が訪れる世界的な観光地です。一方で、なぜ女神の像が建てられたのか、誰がモデルになっているのか、そしてなぜ独特な緑色をしているのか、謎多き巨大像でもあります。今回はそんな自由の女神像の歴史を紐解きながら、独特な色の秘密まで迫っていきます。

自由の女神像は、フランスからの贈り物

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自由の女神像はアメリカが作ったのではなく、1886年に「アメリカ独立100周年」を祝して、フランスからアメリカ合衆国へ贈呈されました。フランスの法学者であり、政治家でもあったエドゥアール・ド・ラブライエが、両国の友好の証として発案したものです。建築を指揮したのは、当時31歳の彫刻家・フレデリク・バルトルディ、内部構造は建築家・ギュスターヴ・エッフェルが担当しました。

バルトルディが自由の女神を設計する際、モデルにしたとされるのが現在ルーヴル美術館に展示されている「民衆を導く自由」に描かれたマリアンヌ。フランス革命後、再び王政に戻ってしまった政府に対して自由を求めて蜂起する「7月革命」の様子が描かれた絵画です。また、顔部分のみバルトルディの母親がモデルとも言われています。

自由の女神建設資金集め

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民間で作り上げようというド・ラブライエの意見もあり、建設費はフランス国民からの募金によって集められました。さらに、たいまつ部分へと登れる体験展示やミニチュア像の販売によって資金集めに成功します。一方、受け入れ先のアメリカでは台座部分の建設費用を募金で賄うことになりましたが、資金集めは難航。そこで、新聞社「ニューヨーク・ワールド」の発行者であるジョセフ・ピューリッツァーが、新聞紙上で募金キャンペーンを数カ月にわたって展開し、資金集めに成功しました。こうして、1886年10月28日、当時のアメリカ大統領グロバー・クリーブランド臨席のもと、盛大な除幕式が行われたのです。

ちなみに内部を作ったギュスターヴ・エッフェルはエッフェル塔の由来、資金集めに一役買ったジョセフ・ピューリッツァーはピューリッツァー賞の由来となっており、後世に名を残す人々が自由の女神像建設に携わっていました。

自由の女神は緑色ではなかった!?

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自由の女神像は、完成当初は銅本来の輝きを持つ赤褐色でした。しかし、建設から約30年かけて徐々に緑青が発生し、現在の緑色になったのです。銅は、空気中の酸素や水分、二酸化硫黄などと反応して、表面に緑青(ろくしょう)と呼ばれる緑色の錆を生成します。銅の表面を覆う緑青は、内部の腐食を防ぐ役割を果たしています。つまり、緑青は自由の女神像を保護する役割も担っているのです。

アメリカの象徴、そして世界の象徴へ

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自由の女神像は、アメリカ合衆国の自由と民主主義の象徴として、世界中の人々に愛されています。1984年には、ユネスコの世界遺産にも登録されました。自由の女神像を観光する際は、クラウン(王冠)展望台のツアーに参加して、エッフェルが設計した複雑な骨組みや自由の女神を守ってきた緑の「肌」を間近で感じてみてはいかがでしょうか。
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